ひよ子の日記
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2004年05月16日(日) バックマスキング

土屋賢二の『人間は笑う葦である』を読み終えました。あぁ、面白かった。風呂で再び『新版自然界における‥』を読んでいると、バックマスキングという初耳の言葉が出てきました。バックマスキングとはレコードに録音されている音に隠れているメッセージのことで、逆まわしに再生した時にのみ聞こえてくるそうです。

80年代において、ファンダメンダリスト(根本主義者)たちの間では、このようなバックマスキングはサタンの仕業であり、ロックミュージックは悪魔のささやきであって、信仰の根本要素を危うくするものの一つだと激しい非難が巻き起こったそうだ。82年には下院議員が議会に対して『このレコードは背景にマスキングがしてあり、レコードを逆再生するとそのメッセージが聞き取れます』というラベルを貼る義務を主張したらしい。悪い噂だろうが話題になれば、その人の関連商品が売れてしまうことと同じで、そういう行為はそのレコードの売り上げを伸ばすだけの様な気もします。私はそれがサブリミナルメッセージとしての影響力を持つとは到底思えませんが、まじめに訴える人がいることもまた、事実なんですね。

ボウリング・フォー・コロンバインでも描かれていましたが、未だにマリリン・マンソン(ただの人間)を悪魔に仕立て上げ、殺人事件をマンソンのせいにする人々がいました。それは、そういう思想の持ち主なのかなぁと思いました。

それから5章では他に、音楽、詩、絵画、数字においての対称の話が書かれていました。音楽の対称も面白かったけれど、私は詩(回文など)についての対称が面白いなぁと思いました。数字については、理解するのが精いっぱいでした。

『オタワのノーマン・グリッジマンは回文的な素数について、ある一つの発見をした。回文的な素数(15451、15551etc.)をよく見ると、真ん中の桁の数字だけが一ちがいで他はすべて同じである様なペアが数多くある、というのである。例えば小さいほうからはじめて四七個の回文的な素数をとると、その中に十二組ものそのような素数の組が見つかる。それではこのような、まん中の桁の数字だけが一ちがいの素数の組み合わせも無限にあるのだろうか。グリッジマンは「ある」と考えるのだが、今のところこれを証明した人は誰もいない。』

これは数字の回文についてから一部引用したものですが、これをどう証明するのか、見当も付かず、ちんぷんかんぷん。

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audioファイルをアップロードすると、逆回しで再生してくれるサイトだそうです。audioファイルがないのでまだ試していません。


ひよ子

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