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33 カレンの死
パリ国立銀行が入っていた郵船ビルの隣に丸ビルの名で親しまれていた丸の内ビルがあった。 そこには、商店やレストランがたくさん入っていた。 謙治なしには昼食も満足に摂れなかったホンコンからのコンピューターチームのフランス人グリオの除いた3人とは、そこのキャッスルという古ぼけた洋食屋で食べる事が多かった。 1923年に竣工された丸ビルの、おそらくは当初からあったのであろうこのレストランは、どう見てもきれいとは言えなかったが、かつての一流レストランらしく出す料理は全員の喜ぶものであった。 しかし、このレストランを健治たちが好んだのにはもう1つ理由があった。 BGMである。 BGMと言うよりは音楽が流れていると言った方が正しいであろう。 音楽喫茶で流すように、ちゃんと聴かせてくれるのである、それも謙治たち全員が好きなカーペンターズを。 食事の後は、ゆっくりと時間までくつろぐのが通常であった。
1983年のことであった。 悲報が飛び込んできた。 アメリカで2月4日なのだから、東京では2月5日だったのだろう。 朝のニュースでカレン・カーペンターがダウニーの自宅で死んでいるのが発見されたこと知った。 後に心臓発作と言われたりしたが、拒食症と言う事だった。
カレンの歌声を聴きながらの食事は辛いものであった。 李譲は注文したものを前にして手を付けず、ボロボロと流れる涙もそのまま膝の上に落としていた。 「いくらでも薬があるのに」と呟きながら。
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