くすぶり続けていた従業員のベースアップやボーナスへの不満と、締め付けられていると感じる労働環境に対する鬱憤が爆発寸前になっていた。 労働組合員全員が急遽銀行店舗ロビーに集められた。 スト権の為の投票である。 一部ではあったが、血気盛んな若いのが、埒の明かない交渉に業を煮やし、ストライキ突入を叫んでいた。 「フランス人共は、日本人を馬鹿にしている、交渉には少しの誠意も見られない、こうなったらとことん戦わなくはならない」。 それでも謙治は、フランス人達を信じていたかった。 労使が揉める事は良い方向には向かわない。 若い連中には、転職を「格好良い」と思っている所がある。 謙治も昔は転職を格好良いとは思わなかったが、恐れはしなかった。 もう45才になる、転職は面倒だ。 それに何よりパリ国立銀行は、謙治にとって自分自信であり、血であり肉であった。 少しくらい具合が悪いからと言って、切り捨てる訳にはいかないのである。 労働が過重になっていることは、謙治自身の場合も顕著であった。 外人たちは益々増えていた、もうフランス人だけでは無く、アメリカ人、イギリス人、皮膚の黒いフランス人も居た。 違うパスポート、違う滞在期限、諸々の手続きのための異なった大使館。 50人以上の事業所には、防火管理責任者を置かなくてはいけない。 消防計画を立て、従業員の防火訓練、非難訓練をしなくてはならない。 外国人たちは一応に、地震に強い恐怖感を抱いている。 それに備え、恐怖感を少しでも和らげるのも謙治の役目であった。 丸の内警察署が強力に推し進めている、「丸の内金融機関防犯対策連絡会」というのがある。 それも発足時から、謙治の担当になっていて、支部会、防犯の集い、総会等と結構一方的に指定された日時を取られる。 事務機の選定も、時間をかけて取り組まなくてはならない重要な事柄であった。 銀行で使う事務機は多種多様であり、規模の小さい一支店が使うには、特殊なものが要求される事が多い。 小切手の名入機を例にとると、パリ国立銀行が1985年に顧客に渡した小切手は、500冊に満たない。 平均すると1営業日に2冊半。 この為に専用の機械を購入することは無駄である。 そこで、あれこれ工夫しなくてはならなくなる。 そして、より一層の研究を要求されるのが導入が始まりだしたパソコンである。 金融機関コンピューター通信の、スイフトについては前に触れたが、スイフトの説明会と言うのに大勢が何日も行っていた。 機器設置の為の環境の説明も有った様だ。 謙治は、何も知らされてなかったので、自分には関係なしと思っていたのであったが、説明会資料のコピーだけが謙治に回って来て準備をせよと命ぜられた。 そして稼動後暫くすると、ログイン・ログアウト、受信メッセージのプリントアウト、各セクションへの仕分けを担当することになった。 これは難しい仕事ではない。 しかし、皆の出勤前にスイッチオンし着信メッセージのプリントを済ませて置かねばならず、スイッチオフは勿論、送信が終わるのを待たなければならない。 謙治は皆より早く出勤し、皆より遅くしか帰れなくなった。 それでも謙治は、業務改善を求めてストライキをする気にはなれなかった。 給料も2年間ほとんど上がってなかったが、自分の愛する職場に、赤旗を掲げて座り込んだり、奇声を上げたりする事は許せる行為ではないと思っていた。 「この銀行に最も長く勤務している者の1人として、少し考えている事を言わせて下さい」謙治はゆっくり話し始めた。「ここ2・3年、給与やその他の面で不満が有るかも知れない。 しかし、過去に辞めて行った人達のほとんどは、後悔している事も事実です。 他所の方が待遇が良いとは思わない方が良いのではないでしょうか。 僕は今までもそうでしたが、この銀行の責任者達を信頼しています。 確かに嫌な人、考え方について行くのが難しい人も居ました。でも、これからは違うと思います。 新首脳部を信頼してはどうでしょうか。ここは大きな事業所ではありません、使用者側、労働者側と言った所で、毎日顔を合わせ、一緒に仕事をする仲ではありませんか。 強攻策に出るよりは、まず、信頼し合う事の方が大事だと僕は思います。 フランス人達は、我々日本人を馬鹿になんぞしていません。」 先導者は、威勢は良いが、大勢ではなかった。 多くの人は、自分の労働環境や給与が、他の企業で働く友人達より良いことを知っていたし、結婚している女性たちの給料は、彼女たちのご亭主より良いのが普通であった。
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