前年の運動会に派遣された人たちは大勢だったために、休暇を与えることが出来なかったが謙治たちの時は、それぞれが短くはあったが休暇を貰って来ていた。 運動会は土曜日に行われたので、日曜日は香港側の接待を辞退して4人仲良くマカオへ渡った。 ポルトガル管理地であるマカオは、中国系の人たちが多いのに拘わらずホンコンとは全く趣を異にしている。 人口がホンコンよりは少ないせいもあろうが閑静である。 上へ上へと伸びているホンコンのビル群と比べると、低層建築と緑の多いマカオには親しみを感じた。 謙治たちのマカオでの第1の目的は、別のところにあったが、一応島中を歩いて回った。 何となく螺旋状になっている道路を登って行くと島の頂上へ辿り着き、公園になっていた。 旧日本軍が駐屯していたらしく、大砲や陣地跡が、かなり原形をとどめているように思えた。 中国本土がすぐのところに広がって見える。 ホンコンの中国返還は秒読みに入っているが、マカオもいずれは中国のものになるのだろう。 マカオ訪問の本来の目的の方も、儲けは少なかったが往復の船賃くらいは稼げたような気がした。 月曜日、未だマカオに未練を持っている高橋と分かれ、ショッピングをしたい女性達とも別れて謙治は東京支店の総務部長が定年後に住むための家があるというランタオ島を、彼が良い所だと言うので見て来ようと思って港へ来た。 あいにく、ランタオ島へ行く便は2時間以上待つ必要があったのであきらめ、島の名前が思え出せなくなってしまったが、すぐ出る船があったのでそれに乗った。 頻繁に行き来している人員を運ぶための船はジェットフォイル船が多いのであったが、謙治の乗ったのは1万トン位の船で、1等と2等に分かれていて、1等は2等の2倍の運賃なのだが、極めて安かったと記憶している。 多分、20HK$、当時のレイトで400円くらいだったであろうか。 そんな運賃だが現地の人らしいのは1等にはほとんど見られなくて、白人の比較的年配の人たちが主であった。 日本人も居なかったのではないだろうか。 だいたい、日本人が仕事や観光に行くような島ではないのであろう。 12月のホンコン、 いい天気であった。 甲板にデッキチェアーを持ち出し、のんびりと1時間の船旅を楽しんだ。 8の字というか、瓢箪型というのか、低い山を持つ2つの島がくっ付いたような島に上陸した。 ホンコンには緑が少なかったが、この島は木々が茂っていて島全体が公園のようだ。 8の字のくびれた部分が砂浜になっていて、白人女性が泳いでいた。 ホンコンで仕事をしている人たちの休暇を過ごす島という感じだろうか。 ジェットフォイルだと20分位でホンコンに行けるので通勤圏なのかも知れない。 中国系の老人が多い。 あちらでも、こちらでも木陰に集ってマージャンをしている。 囲碁のようなものもやっている。 夏の気候はどうなのか分からないが、冬がこんなに暖かいのは、さすが南の国だ。 中国人は鳩を食べる。 ホンコンから東京へ来た人たちを観光案内していて、いつも不思議がられたのは、どこにでも居る鳩の群れであった。 「何故、食べないのだ」と、良く聴かれた。 ホンコンに鳩は居ない。 鳩どころか野鳥がほとんど居ない。 この木々の多い島でも小鳥の声を、注意したが聴けなかった。 帰りの便はジェットフォイルであった。 狭い船室が満席である。 マカオ往復の時もそうであったが、船中の冷房が効きすぎている。 ホテルでもレストランでも感じたのであるが、全般的に冷房が効きすぎている。 冷房が珍しかった頃の東京がそうであった、「軽井沢より涼しい」なんて看板を出している喫茶店があったが、冷たいのが良いサービスだと思っていたのだろう。 ホンコンは、未だにそうなのだろうか。
|