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45 日本国への査証
日本への長期ビジネス査証の取り方が変わった。 変わったというよりも方法がふたつになった。 長い間、フランス人がパリの日本大使館で査証を申請すると、48ヶ月の数次査証を簡単に発給してくれていた。 フランス人だからなのか、大銀行の社員だからなのか知らないが、ごく簡単な書類の提出だけで発行してくれていた。 それが突然出来なくなった。 全く出来ないのではないが、パリの日本大使館では新しい方法で申請しなさいと言うらしい。 新しい方法とは、法務省による発行である。 大使館は外務省の所属になるのだと思うが、法務省方式だとこうなる。
最終学歴の卒業証明書、又は、卒業証書(コピーと原本を持って行き、係官が照合して、原本を返してくれる、フランス語のものは日本語訳を添付する)、履歴書、写真2枚、受入側企業説明書、貸借対照表、事業税納税証明書、保証書、契約書(契約期間、給与、職種を明記)受入側の従業員数、外国人従業員のリスト(職種、査証要因)、その他必要に応じて要求されるもの。 以上の書類を揃えるのは大変であるが、どうにか揃えて東京の法務省入国管理事務所へ持って行く、これからがまだ大変なのである。 ある職種に就くには、それなりの経験が有り、教育を受けてなくてはならない。 支店長を例にすると、支店長としての経験が相当期間無くてはならない。 だから、バンクーバーの2番目だったソテール氏を、東京の支店長として迎えるには、ちょっとした細工が必要であった。 おまけに、子供には出生証明書が、奥さんには婚姻証明書が要求される。
外国人の入国審査に対して、とかく悪く言われている法務省であるが、単一民族国家に慣れている日本人は、心の何処かに外国人を排除する気持ちがある。 その日本人の心を代表して非難に耐えているのが法務省出入国管理局だと思う。だが、企業の人事にまで口をはさむ必用があるのだろうか。 バンクーバーのパリ国立銀行に居たソテール氏を、東京の支店長にするのは、パリ国立銀行の本店が決めた事なのである。 それに対して資格云々言うのは、それこそ資格外行為ではないのだろうか。 ともかく、申請は受理されたが、処理されるのに2ヶ月以上かかるのにも困った。 ソテール氏家族5人は、許可が待てずに東京へ来てしまった。 3ヶ月以内の短期の査証なら、空港で簡単に発給してくれる。
長期滞在の査証が許可されても、国内では発給されない。 この法務省方式になってから、東京支店勤務になる人のほとんどが、許可を待てずに東京へ来て働き始め、許可証が出ると近隣の日本大使館へ査証をもらいに行くことになった。 ソウルでも良いのだが、ホンコンの方が短い休日を楽しめるのである。
散々苦労した査証の最初の取得者である新支店長ソテール氏は、一見、気の良さそうな白髪の、フランス人にしては小柄な男であるが、案外気難しがり家で。 東京での初仕事は、永年勤務している年長の事情通秘書たちを、自分から遠ざける事であった。 彼には経験豊かな秘書は煩い存在でしかなく、何でも「はい」という若い秘書を好んだ。 これが我が儘支店長による恐慌政治の始まりだとは、まだ誰も気が付いていなかった。
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