NO UNDERSTANDING, NO LIFE

2007年05月26日(土) R25 おもしろくなくなった




R25を最初に手に取ったのはプレ創刊のときだ。
私の家の路線は、結構マイナーな線なのに、なぜかR25は配布地域がまだ少ないころからあった。
その頃は、フリーペーパーの中で頭1つ出ていたR25はとても新鮮で、これが本創刊になるといいなと
思った。そして本創刊になり、駅のラックに置かれるようになった。

そして、最近思う。「面白くない」と。
面白くなく、それでも一応もらって、ぱらぱらと見る。
矛盾しているようだけど、つまらないわけではない。トリビアの泉風に「へぇ〜」と思うことはある。だけど、最後のページのコラムではっとしたくらいで、それ以外は特に目を惹かれるものはない。

あのときの面白さはなんだったのか。

それは「目新しい」という面白さだったのだと思う。
今までにないブルータスのノリがある、しかも中身がしっかりとしたフリーペーパーを「ばん」と出されたこと。
「これが無料?」と思わせるそのインパクトと新しさ。
今まで無料でここまでのクオリティを保てるものはなかったということ。
きっと、失礼ながら、別に内容が特別面白かったわけじゃないのだ。コンビニの新商品をカタログのように紹介するような切り口のインパクトや、今までなかったものがあるようになったのが面白かったのだ。

消費のスピードは早い。L25も週刊化されたけれど、すでに面白いと思えなくなってしまった。
無料という形、決まりきった連載。新鮮さが一般化されてしまった。

ただ、一般化されるということはものすごいことだ。携帯電話が当たり前に、インターネットが当たり前になったように、フリーペーパーのクオリティは、確実にR25で引き上げられた。人々の間にも定着しはじめ、まだ当たり前とはいかないまでも、一般化されたということだと思う。
一般化したからこそ、当たり前を面白くないと感じるのだろう。
ある意味、贅沢病かな。
でも普遍的なものは変わらずに面白い。
多分比較するものではなく、面白さの土俵が違うのだろう。

ただだから情報が得られるから、でもらう人はこれからもいると思う。だけど、R25に求められるのは、新鮮な枠組み(連載)や記事自体の切り取り方なのかもしれない。
言っている側は言っていればいいのだから気楽だけれど、毎週だからほんと大変だろう。毎週毎週の勝負を面白がってやれるひとが、携わっていくのがいいんだろうな。

私自身は、R25をもう、もらわなくてもいいと思っている。
でも、つい、どさっと置いてあるともらってしまうけれども。
そして、何か面白いものはないかとやはり、ぺらぺらとページをめくってしまうんだけどね。

それがただの力なのかもしれない。


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