2009年02月15日(日) |
義理チョコは自己満足か? |
「義理チョコなんてなくなっちゃえばいいのに」と仰っている方のブログを読んだ。 その理由を箇条書きにすると、
・気持ちのこもっていない贈り物なんていらない ・気持ちがこもっていない贈り物にもそれなりに考えてお返ししないといけない→面倒だしお金の無駄 ・義理チョコorお返しに割くお金があれば食卓を豊かにしたい ・仮に相手のことを考えて義理チョコを選んだところで所詮自己満足 ・相手のことを思っているという自分に酔っているだけ ・相手ありき、なのが贈り物なんだから、相手が負担に思うようなことはしないでおくべきだ
ということらしい。
各個人経済状況は異なるものだし、先日書いたように借金していてもさらに自分の遊興を優先する人もいるので、ま、確かに日本中こぞって「義理チョコで〜す」なんてやってるなかで義理チョコをもらっても「ラッキー♪」ではなくて「ちっ、また出費がかさむぜ…こっちが望んでもいないのに勝手に贈りつけやがって」って思う人がいても仕方ないかなぁ、とも思う。
私としては贈るからには「あの人にはこのチョコ」「この人には家族がいらっしゃるから個数が多く入ってるもの」とか、普通に友人に贈り物をするつもりで選んで贈っていたのだけどね。
しかし「義理チョコは自己満足、選んでいる自分に酔っているだけ」と談じられているのには参った。 だってそれを言ってしまったら基本的に全ての贈り物は相手の気持ちを考えない、一方的な自己満足ってことになっちゃうもの。
本命チョコは微笑ましいけれど、と前述の方は仰っていたけれど、でも考えようによっては本命チョコこそ相手によっては大迷惑な自己満足的贈り物だよね。一方的に感情を表現するだけだもの。
…と書きながらも我ながら若干詭弁だな、ということはわかっている。ご本人が何が言いたいかということも。
誕生日プレゼントもお手紙もグリーティングカードも、全部基本的には自己満足から始まる。ようは相手が受け取るときに、それを贈り主の自己満足と捉えるか、私のことを考えてくれたのねありがとう!と思うか、それによって違うということで、ブログ主にとっては「義理チョコは迷惑!」と思っている、というだけの話なんだろう。まーでもそれも私もずいぶん尊大な人だなと思ってしまうんだけど。義理だろうがなんだろうが、贈ってくれたものに対しては謙虚に受け取れないものかしらね、と。
私はこのブログ主さんの長年の読者なのだけど、この人に贈り物するのは躊躇しちゃうな…と思った。純粋に好意で相手に喜んで欲しくて贈っても「自己満足で面倒なもんを…」と思われたら、と思うと怖くて贈れない。ブログ主さん自身はお友達にプレゼントやグリーティングカードをよく贈っているようだが、自分が相手に迷惑に思われてるかも、と思ったことはないだろうか。気心知れているから大丈夫、ってことなのかな。でもそれだってそう自分が思い込んでいるだけで、相手の本心は相手にしかわからない。相手によっては「返事書かないと…めんどくさいなぁ」と思っているかも。って思うと贈り物なんて誰にも出来ないよね。贈り物以外でも、たとえば電車で席を譲るとかも出来ないと思う。
私の中の結論として「自分の家族や身近にいる居心地のいい人たちで完結する世界に生きていて、それ以外の人間はシャットアウトする人」なんだろなーと思った。良いにせよ悪いにせよ。 あとブログ主さんはご家族絡みで経済的に苦労された時期があったそうなので、その点でも金銭感覚がどうしても厳しくなっちゃうんだろうなぁと思ったり。逆にお金に苦労したことがない人はかなりおおらかになる(なれる)と思うので。浪費家ってことじゃなくてね。 (この点私は母の言葉は真だな、と思っている。先日の「しみったれ」発言はいかがなものかと思うけど、金銭感覚が段違いな人とお付き合いするのは現実問題としてなかなかしんどいものだ。相手がお金遣いに厳しい人でもおおらかな人でも。たとえば結婚するときに相手のご家庭が「自分の育った家庭と大差ない経済状況の人かどうか」を見ることは結構大事なこと。裕福な家庭に育ってはいるけど自分の収入がさほどでもない…って人だと、やっぱり自分に分不相応な暮らしをしてしまうだろうと思うから)
義理チョコなんて自己満足!というのにどうしても反論したくて書きなぐってみました。ご本人に直接言って改宗させるようなことでもないし(そんな権利もないし、すべきことでもないし)。 書くだけ書いてちょっとすっきり。
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