37.2℃の微熱
北端あおい



 Insomnia

発作が起きてからだが痙攣します。
パニックになって呼吸が止まります。

夜が明けるのが怖い。


2005年09月17日(土)



 硫酸

夜の路地を歩いていると、おじさんに、一杯だけ飲んでいこうよ、一杯だけ、と執念く声を掛けられる。

自分の顔に硫酸をかけて焼いてでもおけばよかった、と後悔する瞬間。

2005年09月16日(金)



 バージェスの乙女たち

女子有機人形最高の教育機関JM人形院の入学審査は厳しい。血統、容姿、知能、純潔などの項目をパスしなければならず、入学後はより厳しい教育が施される。
それでも学科を終了することができた少女達は、
卒業式の日、晴れてオークションにかけられ、それぞれ競り落としてもらったご主人様に引き取られて欲望を充たす玩具となる。
それは下記のようなモットーにのっとっており、洗脳された少女達にとって、誇りと至福の喜びになる。

貶められる資格があるのは/気高く美しいものだけ
「世の男性は/あなたがたが/傷つき汚れ/転落していく姿に
高い金を払うのです」(「」、原文傍点つき)
だから私たちは/金に糸目をつけず/あなたがたを/育てあげるのです。

(蜈蚣Melibe『バージェスの乙女たち-アノマロカリスの章1』1998、三和出版)

清く正しく美しく、という言葉は吐き気がするほど嫌いですが、それならばしばらく矜持をもって生きてみましょう。
たまに容姿を頌めてくださるかたがいるたびに、己と他者の認識の落差にしばしば恐怖するわたし(認識の差は当たり前なのに)ですが、それならばにっこりして、相手を不愉快にさせずにすむでしょう。
品行方正に、貞淑に、美徳に。すべては堕ちる日のためと思えば。

そう、距離が欲しいのです。求めます、求めます。
落下時間は長いほうが美しく、より快楽度は高いから。

ああ、このように洗脳教育を受けていたら、わたしも少しは安寧でいられたでしょうか。


2005年09月15日(木)



 

■その1

世界に拒否された気分。
胸が苦しい。
パニックになる前に考えるのをやめようと思うのだけど、
わたしではだめなの?わたしはだめなの?
はやく終わってしまいたい。
夜が明ける前に。

■その2

薬を無理やり呑んだら落ち着いてきました。
アルコール摂取後だったので遠慮していたのだけれど、
これで大丈夫、夜が明ければ元通りです。
だから、今日は薬でメンテナンスが可能な少女有機人形、
のふり。


2005年09月14日(水)



 澁澤龍彦の娘

連れて行っていただいたことがある。
(そのとき、連れて行ってくれたひとがかみさまにみえた)。
観念の宇宙がひろがる、夢にまで見ていた幸福な書斎。
できることならいますぐ、息をしないオブジェにメタモルフォーゼして
ここに住みついてしまいたい! とそのときは心のなかで叫んだのでした。
うっとりうっとり。

そこに彳んでいる素敵な紫水晶の耳飾をつけている少女のそばにいてもいいですか?
わたしも息をとめてしまいますから。
それとも、そこかしこに飾られている鉱物のひとつに封印してくださいますか?
あなたのためだけに存在しますから。

虚空に向かって、いまはいないその人へ尋ねてみる。
あなたの娘にしてください。

観念を愛するそのひとにとって、
生身の女の子は興味ないに違いないもの。
そのひとのエロティシズムや快楽が向かうところは、
ご自分の分身である娘や、観念やオブジェなのでしょう?

それはわたしの欲望と一致してしまう、だからそのひとのオブジェ嗜好は崇拝してしまう。
人形になりたくなると、わたしの胡桃の中の世界と外がひとつになっていた、
世にも稀なるあの日を、あの午後を、あの書斎の赤いソファでの語らいを夢に見ます
(でも、リアルに生きているわたしは現実社会でオブジェになるわけにはいかないのだった。こういう欲望を現実に晒けだしたりしない程度には、猾く賢くなりました)。

あなたの娘にしてください。
虚空から呼ばれるのを待っています。


2005年09月13日(火)



 エイエンナルショウジョノヘヤ

こんなお部屋を見つけてしまいました。
わー、これって趣味や好みがばればれになってしまいますね(狂喜)!

ちなみに北端は、黒いおかっぱ髪、赤い首輪、レザーの身体拘束ベルト、白いフリルつきの黒コルセット、黒レースの手袋とそろいのストッキングに黒いガーター、手には赤い薔薇といった装束とあいなりました。

☆特別にリンクご承知下さった作者の方に心からお礼を申し上げます。
ありがとう!!

2005年09月12日(月)



 切手の中の少女

大槻ケンジ『リンウッド・テラスの心霊フィルム』(手に取ったのは角川文庫版、思潮社版が初!?)がいいと聞いて目を通してみた。
文が若いことよなぁと思わせられてしまうものの、きっとこの詩人やあの作家もお好きなのであらせられることよ、と予測させられてしまうものの、
妙に心に残るのでした。
だって、昨今、切ない物語は濫れているものの、狂気と切なさをふたつ並べて書けてしまうなんて! なかなかいらっしゃらないのではないでしょうか?
理性的で醒めている視線が崩れないのに脱帽。
でも、狂った人間を徹底的に醒めた目で傍観しているところが、よけいに切なくて臆がちくちく。
あれあれ、大好きな映画『ベティ・ブルー』のように切ない狂気や狂おしさではないのに!?
でも好き。どちらかというと詩より散文が北端の好みでした。
だから、あえて大槻ケンジ作品へ手をのばすのを躊躇っていたり(これって、貶むべき社会性!?)。
ああ、でもこんなこと書いていたら明日は『ステーシー』を買いにいってしまうにちがいありません(嘆息。いままでは本屋で立読のみ)。

処で某様、「何処へでも行ける切手」の歌から綾波レイ=眼帯包帯少女のイメージが造られたという話は本当です!


神様に
おまけの一日をもらった少女は
真っ白な包帯を顔中にまいて
結局 部屋から出ることが無かった
神様は憐れに思い
少女を切手にして
彼女がどこへでも行けるようにしてあげた
切手は新興宗教団体のダイレクトメールに貼られ
すぐに捨てられ
その行方は 誰にももうわからない

(大槻ケンジ「何処へでも行ける切手」『リンウッド・テラスの心霊フィルム』角川文庫、1992より)

2005年09月09日(金)
初日 最新 目次 MAIL HOME


My追加