37.2℃の微熱
北端あおい



 斎藤和雄遺作展

夕方、斎藤和雄遺作展を見に行く。
渋谷の古い古いビルの一角にあるギャラリーに、そのひとの絵は展示されていた。

小さな一枚絵に近づいて、目を凝らす。
点描と極細線で創りあげられた、ひとつの世界。
人の気配も欲望も、みじんも漂わせない、その虚構世界の美しさ。
樹木や人物が、いったんこのひとの手にかかると
鉱物さながらの冷たく硬い美の結晶に変容したよう。

大気や波の泡立ちさえ、細胞のようにこまかくこまかく分解されていく。
ふつうなら、線で書かれるものをこのひとは無数の小さい小さい円で描き出すのでした。線で閉じられるはずの世界に対して、この数多の円の中には、それぞれ入れ子構造の世界が内包されているにちがいありません。

それにしても、このひとが描く闇は単調な暗闇ではないのでした。
幾層もの、極細線の重なりから生れてくる深い闇。
一本の線をひいただけでは、闇なんて生れない。
でも、無数の線が集まれば、それはなによりも深く暗い闇になる。
その世界の玄妙と巧緻に身震いします。
その一瞬、床が崩れて、ぽっかりと底なしにあいた深淵を見てしまったような気になります(渋谷のギャラリーの一隅にいるはずなのに! だから、きっとこれは貧血、眩暈、)。

感動しているのに、いまはその言葉すら騒音に聞こえてしまうので、
静謐なものだけ、もって帰る。

帰りにたまたま入った饂飩屋さんはとても美味しくて、
冷え切ったからだが芯からあたたまります。

あたたまって帰ったはずなのに、おうちでまぶたをとじれば、
静かな闇はまだそこに見えるのでした(目をつむっているのに、また眩暈、眩暈)。





2005年11月12日(土)



 思い出せない

きょうは、なぜかくるしくてくるしくてくるしい。
どうしても苦痛を快楽に還元する方法が思い出せないまま、
くすりの力をかりて眠る。


2005年11月10日(木)



 火曜日の出来事

ほんとうに?
ほんとうに?
ほんとうに?

あなたとわたしの言葉は、ほんとうに同じ方向を指し示している?
言葉と言葉の間隙に打たれて、言葉それ自体すら失ってしまいそう。

それでも、嬉しさと不安の狭でひき裂かれながらも、今はその苦痛を喜びます、喜んでいます、喜びたいのです。

2005年11月09日(水)



 世界の終わり

もしそれが壊れたら、その境界線を越えてしまったら世界が終わってしまうと思っていたのです、といったら、それは「少女」の考え方ですね、と言った人がいた。
それは他愛のない会話で交わされた言葉で、そのときの「少女」は、小さい子供、とか大人ではない、というほどの意味らしかった。
世界が終わってしまう、というのは、そこから先の世界は想像もできなかった、という意味です。

それからすこし時間がたって、そんなことではこの世界はびくともしないのだとわかった。そう頭で理解したとき、なぜか悲しかったことをはっきりと覚えている。
でも、わたしのなかに畏れているものはまだたしかにあって(それはとてもしあわせなこと。だから、それを失ってしまわないよう大事にはしている)、それを侵してしまえば、わたしの中の世界はやっぱり壊れてしまって終わってしまう(ような気がする)。

でももうとっくにこちら側に覚醒ていることは承知しているのです。
だから、世界が終わってしまうとおびえていた小さい女の子は、今ではこう呟きます。

世界なんて終わってしまえばいいのに。
世界なんて終わってしまえばいいのに。
世界なんて終わってしまえばいいのに……

2005年11月08日(火)



 お守り代わり



 某処へ行かねばならないのに、行くのが怖い。
行く勇気が出るようちょっとしたお守り代わりに、かばんにいれていく。
 でも、ふたつあったのに、ひとつ食べてしまったので、のこりはこれだけ。

2005年11月07日(月)



 おぼれる

空気にさえ溺れてくるしいので、ビニール袋で口を塞ぐ。


2005年11月06日(日)



 誕生日



今日はヴィヴィアン・リーの誕生日。
血の色をしたワインでひっそり乾杯いたします。


2005年11月05日(土)
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