昭和な散策は続きそうです。 - 2002年07月04日(木) 元々東京で生まれた私は18のときに愛知から東京に戻ってきた。 わけもわからず無理やり引き戻されてからいきなり一人暮らしで、それから今までに都内近郊、もう十数回の引越しを繰り返している。安住の地などまだ見つけられない。 それでも何処に住んだとしても慣れてくればそれなりに居心地はよくなってゆくもので。 そんな中でも一人暮らしの最後となった湯島の部屋はとりわけ好きなところだった。 湯島と言っても最寄駅は御茶ノ水で、御茶ノ水橋を渡り、大学病院の校内を突っ切って 当時バイトしていたホテルの横を抜ければ私の住む小さい8階建て程のビルがあった。 その部屋は三方に窓がある1LDKで、北の窓からは上野方面の町並みと、半分は空という景色だった。 テーブルに座っていると窓いっぱいにみえるその空を、雲が流れてゆく景色をよく見ていた。 バイト先で知り合ったかなり変わった女の子と最初の3ヶ月ほど一緒に住んでいた。 私が持ってきた机がわりの大きなテーブルで、私は画材にまみれてイラストなどを描き 向かいには六法全書とか、他にも小難しそうな本を山積みにして、彼女は弁護士になるための勉強をしていた。 彼女の会社帰りなど、偶然部屋の近くの道で私を見つけると、両手を高くあげ「まっ!!!ゆみちいやぁぁぁぁーーーん!!(仮名@当時私は20代前半なので「ちゃん」付き)」と叫んで駆け寄ってぜーぜー言ったり、一晩に二升もの酒を飲んで道に寝てしまうような豪快な女性だった。それでいて素晴らしく頭の切れる、その上すこぶるつきの正統派美人だった。 彼女との生活はひやひやすることも多かったけれど、毎日がそれはそれは楽しいものだった。 たまに休みが一緒になると、上野の公園のほうまで散歩に行ったりした。 ひとりのときは聖橋から神保町の方まで散歩たりしていて、すっかりその辺りが好きになった。 彼女はその後、勤めてた弁護士事務所の、先生の弟さんとあっさり結婚してしまった。 子供を生んだところまでは知っているが今はどうしているのだろうか。 先日はしばらくぶりに神保町まで原チャリで出掛けてきた。 すずらん通りの額縁やではバイトをしていたことがあるのでその近辺はまたお気に入りのお店が何軒もある。 一番すきだった本屋は改修工事をしていて仮店舗だったのが残念だったけれど、当時、さほど品揃えがいいとは思えなかったのに好きでよく行っていた画材やの『文房堂』に入って驚いた。外見はほぼ当時のままなのに店の中の様子がまるっきり変わっていた。なんともいえない雰囲気は醸し出していても、なんだかぱっとしなかったお店だったのが、もう、ほんとーに、私が好きだったお店だけあるわーと感激してしまうほど素敵なお店になっていてびっくり。この店をここまで変えてくれた誰かに思わず求婚したくなるほど。いや、しないけど。好きなものがありすぎて息苦しくなるほど。その店にいてうれしくて仕方なかった。タイプは違うけどお台場にあるヴィレッジバンガードと同じくらいすきなお店のひとつとなった。いや、文房堂のほうがすきかなー。 以前と違って、雑貨が多く置いてあった。私がその日買ったのは貝の形とハートの形のオブジェみたいなもの。それとネジを巻くと葉書を持ったまま動くミニロボット。その他パステルとかいろいろ。ロボットのほうは店員のお姉さんに、試しにネジを巻いてもらって、「カタカタカタカタカタ・・・!」動き出したときにはあまりの動きの可笑しさに「わははははー」と笑ってしまった。お姉さんも笑った。 他にも行きたい店は何軒もあったけど、もやしのあんかけがのったおいしいカタヤキソバがあった中華の『楽楽』は残念なことに閉めてしまったようだったし、靖国通りにあった地味だけど美味しいケーキやの『エス・ワイル』もどっかに消えてしまったのか見つけることができなかった。まぁここは昔から店構え自体も地味なので何度もうっかり通り過ぎてしまう店だったから単に見落としただけかもしれない。 まだまだこの辺りには行きたい店や場所がいっぱいある。 梅雨が明けたかのような今日この頃の東京。 これからまた夏本番にかけて、原チャリでの昭和散策は続きそうです。 うはははは。 ...
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