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-懐かしいね-

カユキ
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2003年03月08日(土)
泣き言を弱音を吐ける場所、貴方にはありますか?わたしは、今はもうないのです。だから

たちすくんで、足元を見つめ返すことしかできず

なにかしたいのに、すべてに罪悪感を感じ
身動きすら取れない

前へと溢れていた希望と、オメデタイ未来ばかりの想像にさまよい
“自分”とゆう現実が見えなくなり
虚実を見分けることも諦め、どこまでの夢想を受け入れればいいのかと
すべてに矛盾して生きていた事に、やっと気付きはじめたばかり


しかしやはり
身動きは取れず、不安と不満に飲み込まれ
絶えず現実を見ようものなら、吐き気により頭の中は
眩い閃光を撒き散らし、気を、心を、全てを手放してしまうだろう


何を見ているのかなんて、そんなのはわからない。
何も見てなんていないのだから。
わかるはず、ないのだから。


けれどなにかしようと望んではみても、どれも無理だと肯定され
いや、断定され

恥ずかしい全てに嫌悪してみたり
それでも懐かしい愛おしい其れを、跳ね除けることなど出来るわけなく
享受することを、甘んじるわけではないが、受け入れるしかなく

しかも「+」も「−」も「=」も意味もなく意味もなく意味もなく

存在自体が自らを苦しめるただの媒体でしかあらず
いつまでもこの苦しみから逃れる方法はなく
とらわれの檻は虚空に儚い夢を求める自身を追い詰める。



答えなんか出ず
出るはずなんてなく
すでにそれこそが答えであり
答えなど出ているそれそのもの


求め返したところで、ただ 何も残らず

いや、嫌悪だけが私を占めるのだろう

だからどれが正しいかなんて考える余裕もなく、出来ることなど限られていて
それは、言葉をのみこんで独り耐えることなのでしょう。

かなしくても



せつなくても
さみしくても