Mother (介護日記)
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この地域の新盆も、今日が最後。
市内の叔母は葬儀後、まだうちに来ていなかったので、 今日のレフティーの休みに送り迎えをすることになった。
散らかった部屋を、とりあえずお体裁整えて、お昼前に到着。
しばらくは、母のアルバムを見て。
近所の定食屋でお昼を一緒に食べて。
また送って行って。
今夜は、 市の施設で“新盆用戒名等のお炊き上げ=精霊送り”の行事が行われることになっていたので 夕方行ってはみたものの、まだ時間が早いらしくて誰も居ないので、 短気で眠いレフティーの即決で帰宅した。
市役所に電話してみると、行事は「市の仏教会」の主催であり、 檀家には、各菩提寺から連絡が行くことであって、一般の人についてはわからない、と。 だから市の広報や地元新聞には詳細は載せていないと言う。
この度の、新盆用戒名については、 葬儀でお世話になったお寺にお願いをして書いていただいたのだけれど、 市の施設に来るのは、市の職員の話では他の宗派の住職であるらしく、 檀家でもなく宗派も違ううちが、果たしてお炊き上げをお願いできるものかどうか・・・
叔母の話しでは、2,3千円を包んで持参するとのことだったが、 私は、玄関の水棚からはずした母の新盆用戒名をどうすれば良いのかと迷っていた。
結局、義姉に電話をして事情を話し、 自宅の玄関先で送り火しながら、戒名とワラの馬と牛をお炊き上げすることになった。
葬儀屋が言うように、今後3年間、玄関に水棚を造って1ヶ月間もおまつりするのは、 他の地域と比較しても負担になるであろうとの判断だった。 正式な檀家でない我が家が、毎年、お寺に水棚用戒名を書いていただくことも、 はたまた、それをお炊き上げしていただくことも気を使うことである。
そこで、玄関先で送り火をした時のように、馬と牛と戒名を燃やすことになった。
線香で火をつけようと思ったものの、戒名の和紙も牛馬のワラも、なかなか燃えてはくれない。 ジリジリと、ゆっくりと、煙だけが勢い良く出て、くすぶるように燃えていた。
その傍らでは線香を焚き、茶香炉では緑茶を焚いた。
母には、結局、会えず仕舞いだった。
実は、先日、母が夢に出て来た。
母は、何もしゃべらなかった。
私は、久し振りに母の施設?を訪れた設定であり、 私は、道で母にすれ違うのだが(痴呆で)気付いてもらえず、 泣きながら施設に向かって歩いている、という夢だった。
実際には、母は亡くなる直前まで私のことを娘として認識しており、 そのような哀しみを味わうことはなかったのだが、この夢はどうしたことか。
この夢については、当初は書く気になれなかった。 やっと見た夢が、こんな切ないものでは・・・と戸惑いがあった。
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