2004年12月13日(月) |
『クリスマス・キャロル』 |
名古屋では三演目。<名古屋では…ってところがポイントだと思う…(ノ_;) ということは名古屋公演は初演からずっと観に行ってる演目だということになります。 でも、全然飽きないどころか…まだまだ足りないとも思ってしまう演目です。 物理的、心理的共に…。 今回で3回目だけど…その3回が3回とも同じではないから。
演技も演出もガらっと変えて…などという、別物の芝居に進化したというわけではない。
むしろ、市村さんの衣装もテーブルや椅子などもずっと変わっていない。 基本コンセプトも、何も変わらない。
はっきりと変わっていて驚かされたのは登場の仕方。 1階席後方がどよめいたので何があったのかと振り向くと…市村さんがそちらから登場していた。 でも、そんなのは小手先の変化でしかなく。
演じ方がその時々によって全然違うということ。
私のお気に入り(笑)の『ドアのノッカー』すら同じではない。 一体、どれだけの引出しを持っている人なのだろうか…と改めて驚かされる思いだった。
親方の踊りの時には昔のような切れもないし、体力は昔のままではないということも観ていてはっきりとわかる年代になってしまわれたけど…小休止の時間が小では足りなくなってきているようなポーズもしたりおちゃめだったけど(^^;…その分、演技にはより深みを増していた。
犬を連れた通行人を演じている時にはその手の先に本当に犬が連れられているかのような犬に引きずられていくかのようなリアクション。 普通のお芝居ならアンサンブルになってしまう、こういう何気ない役まで丁寧。
クラチット家のティムを膝に乗せるところでは前回よりもはっきりとその膝の上に載せた様子をリアルに感じた。 それは大袈裟な動きがあったわけではなく、ただ、慈しむような視線と子供を抱えた左手、その子供の手を包み込んだかのような右手の形…ただ、それだけで。
クラチット家の団欒では一人とは思えないくらいに絶妙の間で親子のやり取りが描き出される。 そしてここで特筆すべきは演じるごとに『クラチット家のガチョウ(ローストグース)がちっちゃくなってます!』 なんて可哀想な…だけど、なんて芸が細かい……。<しかし、それを覚えてる性格ってのもやなもんだ。
笑う時には思いっきり笑わせて、泣かせるところでは女性ばかりでなく、厳ついおじさんまで泣かせてしまう…そのパワーってやはり凄いとしか言い様がない。
でも、この話で泣いちゃうのは日常に忙殺されていろいろなものを失くしたことを思い知らされるからなんだろうな…とも思ったり。 それらのものが甦る痛みからなんだろうかと思ったり。
そして、今回…カーテンコールでまたもや(苦笑)義援金募集のご挨拶。 阪神大震災の時に『スクルージ』が中止になったのが今もって悲しいようです。
そうだね…国がしっかりしてないから、誰かが頑張らないとね…。
『ミス・サイゴン』に続いて私も募金してきましたが、今回は社会人として情けないことに財布の中身が3000円しかなかったので、小銭入れの中身全部…。(T-T)あまりにもささやか過ぎる金額なので、今度またどこかで入れておきます。 上手いと思ったのは…義援金箱もクリスマス仕様になっていて、一見可愛いディスプレイ風。 だからこそ、何だろうって寄って行ってる人もいたみたい。 そのやり方は成功だと思うけど…一番右の義援金箱の上にはモノクロの市村さんの舞台写真…。
…最初、市村さんの親しい誰かが亡くなったのかと思っちゃった。(^^; あのディスプレイは可愛いけれど、写真だけは止めた方がいいと思います。 せめて写真をカラーにしてほしいかな…。
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