麻生氏が総裁選立候補にあたり打ち出した「日本の底力」なる政策構想。 豊かさの実感、という方針のもとに、義務教育の早期化と書かれている。
なぜ、義務教育を早めることが、豊かさの実感に結びつくのかまるで理解できない。
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時を同じくして、「脳の土台小さいうちに」と銘打った、 脳科学者の小泉英明さんのインタビュー記事を読んだ。
小さい子ども達にとって、実体験に裏付けられた意欲というものがいかに大切か、という話。
実体験は、脳の内側の古い皮質を育てる。 古い皮質は、生きる力やパッション(情熱)を駆動する領域である。
これに対して、知育というのは新皮質を育てる行為だそうである。 ここだけ育てていては、−小泉氏曰く−、 物知り博士だけど自分からは何もしない「宝の持ち腐れ人間」ができるのだそうである。
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日本で教育という場合、学校教育、社会教育、家庭教育の3つが位置づけられる。
そして学校教育は、誰でも知っているように、 これらのなかで、知育教育を最もシステマティックに行うところだ。
つまり学校は、良い意味でも、悪い意味でも、勉強をしに行く「学び舎」なのである。 小さな子どもの心根に残り、生きる力やパッションの土台となる実体験を育む場所ではない。
小さな子ども達は、心身が育つ喜びや、他者への信頼、そして自分への自信を、 一人ひとりにぴったりの場面で味わうことができる場所にいることこそふさわしく、 それはどんなにやり方を工夫しようとも、学校教育で実現することはできない。
そんなことは承知の上だ、と麻生氏がもし言うのなら、それはなお恐ろしい意味を私に想像させる。
学校という管理された集団教育システムの中で子ども達に均一に獲得させようとする、 「実体験に基づくパッション」とは何か。
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前出の小泉氏は、インタビューの最後にこう結んでいる。以下抜粋する。
「…脳から科学的に教育を知る。これは単に頭のいい人間をつくるためではありません。他者の多様性を尊敬の念をもって受け入れられる、相手の立場を大事に考えられる人間をはぐくむためです。人を思いやれる世代をつくること。そして、まだ研究が進んでいない「憎しみ」の本質を脳科学から研究し、憎しみの連鎖を断ち切ること。これが脳科学と教育のきわめて重要なテーマだと考えています。」
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