眠れぬ夜に、ラジオ深夜便。村田兆治元プロ野球選手のインタビュー。 なんだ野球選手ね、と興味がないながら耳を傾ける。
そのうちに、目が覚めてきた。 なんだかこれは、布団の中で寝ぼけて聴く話ではないぞと気持ちを改めた。
村田氏の話には、技を磨く職人に共通する哲学がある。
プロとして、エースとしての責任感。 自分の技術に対するプライド。 選手としての自己管理能力。 実践に裏付けられた自信。
人間頑張れば、不可能を可能にすることができるんです、という言葉には力がある。 もう少しで野球ファンになってしまいそうなほど、為になるであり、 しばらくは「村田兆治に恥じない人生」を、我が日常のテーマに掲げておけそうである。
*
真剣に生きている人の生き様に触れると、人は襟元を正そうという気持ちになる。 この人のように頑張りたいと、手本にし、行動指針にしたくなるのである。
さらにその人が、−日本刀研ぎとかピアノの調律師とかダムの設計技師などでなく− カッコよく走り、投げ、躍動し、勝ち負けという、努力の結果が分かりやすいゲームスポーツの選手であるならば、子どもにとってこれほど明快な目標はないだろう。
そういう訳で、スポーツが青少年育成に貢献するとすれば、その理由は選手人の生き様にあるのだろうと思う。
まったく興醒めな蛇足で恐縮であるが、逆に言うと、そうでなければ、どんなに速い球を投げても、速く走れても、 スポーツが青少年育成に貢献する理由はない、とも言える。
2007年12月12日(水) 2006年12月12日(火) 旅がらす三行日記 2005年12月12日(月) 2004年12月12日(日) 高尾山
|