2011年04月11日(月) |
東日本大震災 涙の流れるままに |
3.11東日本大震災から一月経過する。
頑張ろう、元気を出してというメッセージは、 今日は少し横においておきたい。
*
地震、そして大津波という未曾有の自然災害に遭遇し、 東北地方を中心にして、日本人が考えられないぐらい沢山、死んだ。
老人も、若者も、子どもも、男も女も、涙を流して悲しんだ。
故郷を遠く離れて久しい人だって、震災で損なわれたふるさとを思い男泣きした。 救護に駆けつけた看護士も、職務上涙を禁じられつつ、被災者と涙を共にすることをやめられなかった。
テレビを見ながら、ラジオを聴きながら、ネットに接続しながら泣いた。 声をあげて、あるいは声も出さずに、崩れ落ちて泣いた。
親を失い、子を失い、夫や妻を失い、 船を失い、農地を失い、未来を失い、涙にくれた。
市民も泣いたが、権力者も泣いた。 東京電力の人だって、記者会見で泣き崩れた。
社会での枠組みをはずれ、一人の小さな人間として、 大変なことが起きてしまったと自覚し、悲嘆にくれた。
*
悲嘆は、何度も押し寄せる。あの津波のように。
命日の度、一周忌、そしてその後の祥月命日の度、悲しみは蘇る。 いずれ被災の話は子孫に伝わり、その子孫も涙を流すだろう。
それはもう、仕方がないし、悲嘆する時は涙すればよいのだ。
*
人は人として被災する。 他の生き物も多く損なわれたが、 被災を自覚し、涙を流して悲嘆するのは、おそらく人間だけである。
2007年04月11日(水) 改心日記 2005年04月11日(月) 不売運動
|