長風呂のお供だった『解夏』を読み終えて、さあ次は何を読もうか、というところだった。まだ読んでいない、さだまさしの自叙伝的小説『精霊流し』もいいが、今のように珍しく読書虫が疼いているときは、あえて違うセンもいいだろう。こういう状況でないと、なかなか新しい本に触れることが無い。インターネットで書評などを調べてみればいいのだろうが、それがその本を手にするきっかけになることは、少なくとも俺には、ない。 『解夏』の解説文を寄せていたのが重松清。この解説文が、さだファンである俺の心をくすぐった。その内容をここで再現することは控えるが、重松氏もさだまさしの曲を愛している一人であることがしみじみ伝わる内容だった。さだファンに悪い人はいない。ならば重松作品を読んでみようじゃないか、ということになった。安直です。 知らない名前ではありませんでした、「重松清」。 どうも、こう、イメージ先行で敬遠してたような気がする。ほら、まず名前が重たいでしょう。様々な陰謀と策略が蠢く大企業の裏舞台を描く長編経済小説かなんか書いてそうなイメージじゃないですか。文庫本の表紙はリアルな艶めかしい女性があったりする、あんな感じ。 早速、金曜日の夕方、会社から読書家の友人へ『重松清のお勧め作品を教えてくれ』メール。ものの数分でリアクションしてくるんだからありがたい。信頼できる友人のオススメ、というのはインターネットや雑誌の書評より説得力があります。で、帰宅途中に前述の『精霊流し』と、友人のお勧めの一冊『ナイフ』を購入しました。 嬉しがって“のづ写日記”の方に表紙の画像を載っけてしまったけれど、『本の表紙をネットに出すのは、ちと、不味いのでは』と大学時代の後輩から指摘が。おいおい、そーいうことはもっと早く言ってください。その後輩からもいくつかのお勧め本を紹介してもらった。 しばらく長風呂の日々が続きそうだ。そんな時間を作るためにも、残業もほどほどにして帰宅するようにしよう、と思い始めているので、読書虫は各方面に良い影響を及ぼしてくれそうです。
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