のづ随想録 〜風をあつめて〜
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【のづ写日記 ADVANCE】

2005年03月22日(火) みんな20年前のまま

 先日の日曜日、高校3年の時の担任の恩師が定年退職されることを記念したクラス会があった。もう何年ぶりの集まりだろう、と指折り数えても思い出せない。そのときに同じクラスだった一部の仲間とはちょいちょい顔を合わせているものの、中には卒業式以来顔を見ていない、という奴もいる。日曜出勤を終え、渋滞の高速道路を進む中、俺はうれしいような気恥ずかしいような不思議な気分だった。
 開催ぎりぎりに到着。すでに先生は着席されており、俺の顔を見るなり「おお、のづ。先日は遠いところをありがとう」と笑った。数ヶ月前、先生の定年退職祝いを兼ねたクラス会をやりたい、という相談のために、先生を誘ってクラス会の幹事役の数名と飲んだのだった。
 今の時代、60歳と言っても――ということを抜きにしても、先生がとても定年退職する年齢とは思えない。ただ、すこし白髪が目立つようにはなった。そこが、先生が、俺たちが平等に過ごした卒業式以来の20年という時間だ。俺は俺で、大学を卒業し、なんとなく会社員となり、結婚もし――という20年を過ごしてきたのだ。男性陣は相応に年齢を重ねている、という風情だったが、びっくりすることに女性陣は(これはホント、お世辞でもなんでもなく)ほとんど変わらない。もともと、オンナのコのレベルの高いクラスではあった(当社比)が、みな綺麗になったと思えた。もちろん、悔しいから本人には言わなかったけれど。
 総数47人だったクラスの約半数が集まったクラス会は、先生の挨拶から始まった。先生らしい穏やかで丁寧な口調で、高校時代のホームルームや担当の倫理の授業を思わせた。そして、乾杯。
 冷静に思う。
 あの卒業式の日、20年後にまたこの仲間たちと顔を合わせ、乾杯をすることがあると想像できただろうか。
 あの頃の俺は(今でもその要素は十分に引きずっているのだが)甘っちょろい仲間意識が強くて、「20年後だろうが100年後だろうが、俺たちはいつだって仲間だぜ」なんて軽々しく言ってのけてしまう少年だった。たぶん、本気だった。でも、ココロの端っこの方ではそう言ってしまうことの“嘘”を感じないでもなかった。

 18歳の少年には20年の時間は気が遠くなるくらいに、遠い。
 37歳の少年には20年など瞬く間に過ぎていった。

 徐々に場がこなれて来て、それぞれが思い思いに席を移動し、懐かしい顔と笑い合っている。俺も懐かしい仲間との懐かしい思い出話と新鮮な話題――まさかご近所さんになっているとは思わなかった!――と少しのアルコールでややおなか一杯になってきたところだ。
 元女子高生たち(失礼)が当時のままの笑い声をあげた。ヤロー共もみんな笑顔だ。彼らと少しだけ距離を置いたところで、俺は仲間たちを眺めていた。
 ふと、思い出した。
 卒業が少しずつ近づいてくると、俺は昼休みに時間をもてあました時は、机に頬杖をついて、こんな風にクラスを見渡すのが好きだった。この素敵な仲間たちを目に焼き付けておこう、なんてことは考えてもいなかっただろうけれど、じゃれあっている女生徒や難しい顔をしてスポーツ新聞に顔を寄せるヤロー共、5時間目の宿題のノートを必死に写している悪友をぼんやり眺めていると、なにかとても優しい気持ちになれた。

 変わらない。
 みんな、同じように時間は過ごしたけれど、何も変わらない。俺はそう思う。
 偶然か、必然か、またこうしてひとつに集まった仲間たちと、定年を迎えられさらに前に進まれる先生と、この縁(えにし)は大切にしたい、と思う。


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