2024年10月06日(日) |
雑文・ピーススタジアム(ピースタ)こけら落とし探訪記 |
私はサッカースタジアムを税金で建設すべきと考える人間である。全国ほぼすべての県に都道府県立野球場と陸上競技場がある、しかも収容人員が多い。しかし県立サッカー場は少ない。あっても収容は少ない。地方の財政が悪くなった?不作為で建設を怠ってきた失政をサッカー界に押し付けてはならない。サッカー界はこんなことに理解を示す必要はない。そういうのは「物分かりがいい」とは言わない。数の論理で政治に圧をかけ続けることが肝要だ。Jリーグはプロだから特定企業のために建設するのはおかしい?プロアマ関係なく作るべきだ。プロアマ差別の誤りをIOCは40年前に認めて、差別をやめている。こんな差別主義者の亡霊がいまだに生き残っているのが驚きだ。県立サッカー場が建設されれば当然アマチュアも使う。高校選手権予選準決勝以降の開催に苦しんでいるのは各県共有の課題だ。そもそも地方の県立野球場をプロ基準で建設しているダブルスタンダードがある。要するにプロ野球が使う野球場は税金で建てたいが、Jリーグが使う野球場は税金で建てたくないということなのだ。というわけでサッカー場建設反対の論理は破たんしているが、私はサッカーファンが数の論理でサッカー場を作らせるべき、と考えている。
さて私はサッカースタジアムのこけら落とし好きである。こけら落としの定義はあれこれあるが、ここでは新しいサッカースタジアムの初のサッカーの試合開催と受け取ってもらいたい。2024年は金沢・広島・長崎がオープンした。その長崎の探訪記である。V・ファーレン長崎は現在ジャパネットたかたが所有している。そして社運をかけて長崎駅徒歩10分の交通至便の地にサッカースタジアムやアリーナを軸とした総合施設を作った。ホテル、ショッピングモールなどである。
まずチケット確保について。これがなければ始まらない。早めに発売されるチケット、長崎サイドやバックスタンドなどはV・ファーレン長崎のチケット会員に入らなければとれないが、スマホ限定で私のスマホは容量ぎりぎりで新たにアプリを入れられない。そこでJリーグチケットで販売されるアウェイ大分のゴール裏を狙う。幸い端っこの方を取れた。しかしバックスタンドもなかなか買えないのはつらい。
さて試合は日曜日開催。その土曜日、夜行フェリーで新門司港についてシャトルバスで小倉駅に向かい、小倉からリレーかもめをとる。みどりの券売機ではうまく取れず、窓口でとる。普通は博多まで新幹線で向かってそこから在来線特急だから。あいにく窓際は取れない。 小倉から博多を通ってサガン鳥栖のホームタウン鳥栖まで鹿児島本線を行き、そこから長崎本線で佐賀を通り武雄温泉へ。特急車内の居住性はイマイチ。せまっ苦しい。武雄温泉駅で長崎新幹線(西九州新幹線)に対面乗り換え、つまり同一ホームで乗り換える。新幹線は窓際を取れた。この新幹線は走り出したと思ったらすぐ止まる。停車駅がこまめだ。しかし車内は居住性に優れ快適だった。長崎駅に着くと、駅でスタジアムガイドツアーみたいなものをやっているが、長崎市内観光を優先だ。観光案内所で説明を聞いて、というか観光案内所の人は説明をしたがる人が珍しくないので、しっかり聞くことが肝要だが、とにかく私の希望と擦り合わせて、コースを作った。
まず路面電車に乗り、中華街駅前で乗り換え、街の端に。そこで降りて観光店だらけの坂を上ると大浦天主堂。現在は通常のミサは行われておらず、実用的な教会ではないが、26聖人を祀った教会。観光化されている。戦国末期、キリスト教徒は長崎で布教活動を行ったが、仏教寺院の破壊活動も行い、僧侶の殺害などもあり、秀吉などの為政者は警戒し、やがてキリスト教布教を禁止した。このときに殺害された日本人をのちにキリスト教徒の中で格式の高い「聖人」としたわけだが、とにかく弾圧化の長崎でキリスト教信仰は細々と続き、幕末の開国で教会建設が始まった時に大浦天主堂が作られたわけである。26聖人の石碑の上に聖堂がある。カトリックの中高を出ている私にとっては「お御堂」という感じである。古くて豪華なステンドグラスにあまり光が入らず暗いのだが、欧州の古い教会は概してそんなものである。大きなミサはできないが、当時としては立派な聖堂。聖堂を出ると横には博物館もある。
さて大浦天主堂を出て坂をさらに上るとグラバー園。要するに外国人居住区。丘の上の庭園に豪奢な邸宅がいくつかある。庭園内のエスカレーターで登っていく。もちろん入園は有料だ。庭園内には噴水というか壁から水が落ちるものや、海に向けての砲台まである。各邸宅には当時そのままの寝室や居間など豪華な暮らしがうかがえる。グラバー家は日本に定住した人もいるようだ。もちろんグラバー邸が最大の売りである。
中華街に戻り長崎ちゃんぽんを食べて、さらに市電で数駅進み、眼鏡橋へ。数年前豪雨災害で流されたとか聞いたが、復興している。煉瓦製の円形の穴というか水が流れるところが空いて、橋全体が眼鏡状になっている。
さらに進み、市電で平和公園に向かう。浦上を過ぎて坂の街・長崎の右手に丘が見えて、平和公園。入口にエスカレーターがあり、登ると公園内。噴水があり、まっすぐ進むと広場になっている。その広場を見下ろす強大な彫刻。これは戦前に戦争賛美のための彫刻を数多く作った悪名高い彫刻家が平和のための強大な人の像を作ったものである。この像に向かって黙とうするというのは良識ある人間としては相当な葛藤、はっきり言えば屈辱感がある。長崎市民の平和への感覚はどうかしている。ローマ法王は長崎に二回来ているが、いずれもこの像に前には来なくて、爆心地の方に来ている。長崎の人にはすまないが、原爆被害者への黙とう、平和への祈りがこのような権威的なものに化けてしまっている以上、今後は平和公園に来ることはないだろう。広島の平和記念公園にはしょっちゅう行っているが、長崎の平和公園の場合、鎮魂のニュアンスが私の理解と違いすぎる。
さて、ここから浦上駅に向かい、ここからこの日の宿泊地・佐世保に向かう。
翌日佐世保軍港で自衛艦を観て、米軍基地は見えないが、港を堪能した。そして長崎行に乗り、諫早あたりで混んで長崎駅で一斉に降りる。(当たり前だ)殆どサッカーファン。駅の西側を北に進みスタジアムにつく。エスカレーターで上がり、入場ゲートでチケットをかざし、入る。早速スタグル確保する。が、本記事執筆時点では時間がたっており、何を買ったかは覚えていない。入口のパネルで注文してICOCA決済。 さてゴール裏からバックスタンド側のホテルを確認。著名人も多く来ているらしい。よくみえなかった。 スタグル以外にイベントは物足りなかったかな?こけらおとしのふんわりした雰囲気に包まれていた。
座席は十分な間隔があり、角度もあってゴール裏ながら見やすかった。
さて、試合前に高田社長のあいさつ。相当理想に燃えているらしい。アウェイサポーターも歓迎し、ゴールシーンではアウェイのゴールもきっちり流すとか、試合後も是非スタジアムに残ってほしいとか、普段からきてほしいといったニュアンスだったと思う。なかなか感動した。
さて、試合そのものはメモを紛失したので語れない。長崎はJ1参入プレーオフに参加する可能性が高い。普段高校生を中心に観戦する私にとっては雲上のレベルである。そもそも試合そのものではなく、試合中もスタジアムの様子をうかがっていたので、熱心な観戦者だったとは言えない。
終了後もスタジアム内に滞留してお金を落とせ、という仕組みになっている。 さて試合が終わり、長崎駅にまっすぐ向かった。土産物買えば、もう新幹線の時間だ。というか新幹線のダイヤも試合終了後に土産物を買え、と言わんばかりの設定だ。長崎の新スタジアムはお金を落とす仕組みに満ち満ちていた。
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