さん さん さん けっかの けっかを みて まちましょうか さん さん さん いちのみやのさんが ひっこぬけたというか ひっこぬかれたというか いちのみやのさんが ひっこぬけて どうしましょうか さん さん さん
母が金曜日に意識不明になりました。
ここ数週間、腹水が溜まりずっと弱気で泣いてばっかりだった母は先週の月曜日に抗癌剤を受け、その日は私も病院に行っていたのですが、火曜水曜と仕事の多忙さで母の所には行けず、木曜日に行った時は何処か焦点が定まらない目をしていました。
話しかければしっかりした口調で答えてはくれるのですが、意識が行ったり来たりしているのか、少し話をしてはまたうとうとと眠りについて行くという感じで、何となく不安に感じた私は「明日も来るからね、待っててね」と母に告げてその日は帰りました。
翌日、元飼い猫の眠っている霊園をお参りする用事を済ませて母の所へ行く途中で病院から電話がかかって来ました。「お母さんの具合が悪くなりましたので、直ぐに病院にいらして下さい」
病室に駆け込むと母は昏睡状態。私が呼びかけて手を握っても、いつものように握り返してくれる力は全くありませんでした。ただ暖かく、抗癌剤のせいと栄養点滴での浮腫みと黒ずんでしまった母の手。
「今朝、お母さんが"今日は意識を失いそうだから、あとは看護婦さん宜しくね"と言っていたんです。心配で時々見に来ていたのですが、娘さんに電話をするちょっと前に発作を起こしまして・・・一時は呼吸も停止したのですが、呼吸の方は直ぐに回復しました。」と、担当の看護婦さん。
その後、叔父夫婦が来てくれました。しかしその頃から眼震や顔や手などの全身の痙攣発作が激しくなり、心拍数が300にもなっているのに酸素が80まで下がり、見ていてもかなり苦しそうな母。看護婦さんに点滴を入れる管から痙攣止めの薬を投薬してもらうと痙攣は治まり、力が抜けたように母はぐっすりと深い眠りについていきました。
意識不明になる前日、母は私に「昨晩はね、アンタが夢に出てきたよー。あのねぇ、すごく綺麗なお花畑にね、アンタが三輪車に乗ってるの。でね、ずっと、アンタがママに話しかけてきてるの。」と言いました。私が「えー?私が三輪車?」と笑って答えると「うん、三輪車だと思うんだけどね、アンタがまだ小さかった頃のアンタなのよ。・・・あれは・・・極楽なのかねぇ・・・」と母は話すので私が「やめてよー。子供の頃の私がなんで極楽にいるのよ。」と答えると、聞こえてるのか聞こえていないのか、母はまたうとうとと眠っていきました。
発作が起こった日は全く動けなかった母も、日を追うごとによってだんだん左手が動くようになり、右手が動くようになり、足も動くようになり。昨日は目も開きました。でも、私を見つめる母は、私の事は分からないようです。
そして、天井に向かってずっと誰かと話をしています。
さん さん さん けっかの けっかを みて まちましょうか さん さん さん いちのみやのさんが ひっこぬけたというか ひっこぬかれたというか いちのみやのさんが ひっこぬけて どうしましょうか さん さん さん こまったねぇ どうしようかねぇ あらーたくさんあるね でもちょっとたりないね
さん さん さん
私の事が誰だか分からなくなってもいいのよ。 「何も分からなくなって寝たきりになるぐらいならいっそ殺してくれ」って、貴女は以前に言っていたけれど、私は貴女が寝たきりでもいいから目を覚ましてくれた、それだけで良かったのよ。
貴女の記憶の中にある私は、微笑んでいますか?
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