不思議な事に、泣かなくてもいい時にはボロボロと涙が出るのに、肝心な時は全然涙が出ない。私がもしも役者だったなら、きっとものすごい大根役者なのだろう。
7月16日に意識不明になって目を覚ました後の母はまるで別人のようで、さながら痴呆老人のようになった母は、勝手に点滴を外してしまったり、大声を出して暴れたり、勝手に起き上がろうとしたりと目が離せない状態だった。
そのままほおっておけば余命2〜3週間ですと医者に宣告されて、まだ抗癌剤を続けるべきか、そのまま痛みや苦しみをとるだけの治療に切り替えるか、一人娘の私に苦渋の選択を迫られ、黙って何もせずに見殺しにするような事も出来ず、本当に少ない可能性に賭けて抗癌剤を使用する事にした。
それは、副作用によって母を苦しめる事になるかも知れない。 ただ私が「ここまでやってもダメならしょうがない」という自己満足にしか過ぎないかも知れない。 抗癌剤の治療をしたとしてもしなかったとしても、とどのつまり良い結果が出なければ結局は後悔する。それなら出来る事をしようと思った。母には苦しい治療かもしれないけれど、僅かな可能性でも私は信じたかった。
肝臓の数値が悪くなり、感染症から敗血症をおこし血小板がどんどん破壊され、血圧が下がってショック状態になり、心臓を動かす点滴にも反応しなくなり、呼吸をするだけでも全身を使って呼吸している。
「夜に爪を切ると親の死に目には会えない」なんて迷信を、そんなのバカバカしいと思いながらも私はずっと爪を切れずにいた。長く伸びてしまった爪を持つ私の手は、細い呼吸をするけれど心拍数や脈拍が計れない程になってしまった母の冷たくなり始めた手や足を、バカみたいに泣きながら賢明に擦って暖めようとした。
でも、いよいよ心拍数が弱くなり呼吸が細く細くなった時、看護婦さんに「手を握ってあげてて下さいね」と言われて、手を握って頬を撫でたり頭を撫でたりしながら私は母に呼び掛けた。何故かそんな時は涙なんか不思議と全然出ない。
そして深呼吸のような深い溜息と共に母のの呼吸は止まった。もう一回呼び掛ければ、まだ呼吸を始めるんじゃないかって思って、私は何度も呼び掛けた。抱きしめて、首を撫でるとまだ暖かい母の体。でも涙は出ない。現実を信じられなくて、茫然自失と言う方が正しいかもしれない。
嵐のような闘病生活とは裏腹に、まるで台風一過の凪いだ海のように。 本当に静かに。 8月12日午前0時過ぎ、母は永眠しました。
この細くなってしまった手で、今までどれだけ私のために苦労してきたのだろう。「アンタが居なければとうの昔に病気に負けていたよ。アンタと孫が心配で私はなかなか向こうには逝けないわ。居てくれてありがとう。」と笑いながら言っていた母。
それは私の台詞なのにね。 ありがとう。頑張ってくれて、ありがとう。
※御礼が遅くなりましたがメール下さいました方々、有難う御座いました。 メールアドレス記載のあった方は少しずつお返事させて頂きます。 名無しで送ってくださった方、メールアドレスが記載されてなかった方も本当に有難う御座いました。
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