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■ 深緑の季節に
4月は、心の中で固く凍り付いたものたちが溶けて流れ出す月。
その流れていく音に耳をすませているうちに、日々が流れ、風が5月を運んできた。
この街の春は、柔らかい桜色が何もかもを優しく包み込んでくれる様な日本の春とは趣が違う。
深い緑を背景にした鮮やかな赤、黄色、紫が、この街の春の色だ。街のそこかしこで、元気の良いいたずらっ子が笑いながら隠れんぼしているみたいだ。 賑やかな小鳥達のさえずりが、どこにいても聞こえてくる。
その暖かさの向こう側で、新しい楽しい出来事と悲しく寂しい出来事が通りすぎていく。
新しい楽しい事。
ヨガと、キューバのダンスを習いはじめた。 静と動の全く違う二つの要素で、眠っていた体を気持よく呼び起こす。
ヨガとダンスは、対照的だけれど、大切なところは同じみたいだ。
「ganz locker」(すっかり体の力を抜いて)
体の力を抜く事がとても大切で、力を抜くからこそ、よりたくさん自由に体が動いてくれる。
何かをしたい、果たしたいと思う時、つい力を入れることにばかり気がいってしまうけれど、力を抜いた柔らかな状態があってはじめて、ほんの小さな揺れが、体の隅々まで振動となって伝わっていく。
固くなってコチコチの私の体は、いろいろなところで通行止めが起きている。力を抜くと簡単にいっても、力を入れるよりずっとずっと難しい。
心を沈めてヨガのポーズをとり、呼吸と体にかかる重力をじっくりと感じ取る。けれど、体のあちこちが痛い…
あいたたた…
キューバのダンスは、サルサとメレンゲ。4拍子と2拍子の違いはあるものの、どちらも楽しい踊りだ。ペアを組むのは照れくさいけれど理屈抜きに音楽と触れ合うのは、むしろヨガよりも心が無になっていく。
キューバは、民族の悲しい歴史がある国。けれど、様々な思いを歌とリズムとダンスで消化する不思議なエネルギーに満ちている。
夢中になって体と向き合った後は、心がすっきりとする。やるべきことも、これまでよりもずっと、たくさんはかどっていく。
悲しく寂しかった事。
大切な友達が、お父さんを失った。
別れはどんな時でも悲しく辛い。命が消えてなくなるという事はそれだけでも痛ましい。けれどそれは、突然だっただけでなく、とても難しく残酷な死だった様だ。
その友達は、私が深い孤独の中にいた時に、立ち直るきっかけをくれた人だ。
こんな時、周囲の人間は祈ることしかできない。何も出来ない事がもどかしい。私には、友達にかけられる言葉もない。それが母国語同士だったとしても、こんな時に何を言えばいいか言葉はみつからないけれど、それでも話を聞くことくらいはできるだろう。けれど、聞いた話を理解する事も、今の私には難しい。
拝むような気持で友達の為にパンやお菓子を焼きながら、ふと自分の家族の事を思った。
5年前まで16年間、いつも私の側にいてくれた犬のケンの事を思い出した。
ケンは犬なので、あたりまえだけれど私と話すことが出来なかった。でも悲しいとき、嬉しい時、そっと見つめてくれていた。
ひょっとしたらケンは、いつも、とてももどかしかったんじゃないのかな。
家族の中で、自分以外の皆が言葉を使って会話をし、通じ合っていた事を、きっと理解していただろう。そして、その共通のコミュニケーションの手段を、自分だけが使えない事を分かっていたんじゃないだろうか。
私が悲しく寂しい思いでいた時、何かただならぬ事が起きていることだけを感じ、けれどそれ以上何も出来ない事をはがゆく感じていたのかもしれない。そして、深い眼差しで傍らにいてくれた。私が心の葛藤をコントロールできず、苛立ちをぶつけてしまった時でさえ、いつも少し離れた近くにいてくれた。
それから、母の事を思い出した。 数年前、ヘルペスになって母が急に入院した。死に至る病気ではなかったけれど、激痛を伴う苦しい病気だった。突然の事で慌てていた私は、慣れないことにとまどいながらも、母の日用品をバッグに詰めてかけつけた。その時、鞄の中から寝巻きを取り出した母は、寝巻きを眺めながら、溜息まじりに私にいった。
「あのね、こんな時だからこそ、アイロンのかかった綺麗な寝巻きが着たいものなのよ。あなたには、そういった細やかな心配りがわからないのね。」
その時の私は、せっかく届けてあげたものに文句をつけられる覚えはないと心の中で反発をした。二言、三言の憎まれ口をたたいたかもしれない。そっちこそ感謝してくれてもいいんじゃないかというような気持でいたのだと思う。
数年の歳月を経て母の言葉が思い出され、オーブンに入れかけた天板を再びテーブルの上に戻した。そして、ただスプーンですくうだけだったドロップクッキーを一つ一つ、手で丁寧に丸め一つの角も無いように気をつけた。何の意味もないことかもしれないけれど、こんな時、丸みを帯びたものが何かのきっかけで友達の心に温もりをもたらすかもしれないと感じた。そして、その一つ一つに、お箸の先で笑っている顔を彫った。焼いてしまえば見えなくなるようなものだけれど、そうする事でお菓子に命がこめられるような気持だったのかもしれない。
それから、飾りとして自分の部屋にかけている千羽鶴をみて、ずっと昔に訪れた広島の事を思い出した。あの街には数えきれない程の千羽鶴が飾られている。それを作ったところで何が変わるというものでもないのかもしれないけれど、作るしかなかった人々の気持が今になってようやく感じられた。 これまで、何を見て来たのだろう。何も見てこなかったのかも知れない。そんな事を感じた。
友達のお父さんは、この街からずっと遠くの地で命を失った。 けれども、彼は今そこへ行く事ができない。
友達の上にも、亡くなった友達のお父さんの上にも、同じ一つの空が広がっている。
同じように、白い雲が浮かび、時に雨が降り、稲妻が光り、そして太陽がふりそそぐ。
いつか、きっと、この空に、大きな七色の虹がかかりますように…。
2004年05月09日(日)
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