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■ 秋の日に
日の短い、北風の季節がやってきた。
入れたてのコーヒーや、ココアの湯気が、どこまでも嬉しい。
街を行き交う人々が、背を丸めコートの襟を立てて足早にすぎていく。
木立のざわめきが冬の訪れをゆるやかに告げているみたいだ。
そして、私の内側にもまた、小さな変化がゆっくりと訪れようとしている。
29歳の今年の夏は、ドイツ北西部にある街、ミュンスターで、2ヶ月の間生涯忘れられないたくさんの大切な時間を過ごした。
ミュンスターは自転車の交通が発達していることで有名で、古い町並みが残されたカソリックの街であり、
私にとっては、
23歳のときに、初めて一人旅をした街であり、 26歳の時に、その街に暮らすドイツ人家族と出会い、 27歳の時に、彼らのもとに滞在して彼らと同じ言葉を学びはじめ、少しずつ、階段を上っていくようにして時間をかけて、仲良くなっていった街だ。
私は旅をしたり移動することが好きだけれど、たいていの場合は、珍しい風景や綺麗な風景の中に入り込んで、でも、むしろ日常の外側にいるもう一人の自分と出会う為の旅をすることが多い。
けれどこの街ではじめて、その土地に根をおろす人々と出会い、深く知り合い、そうして自分にとっての旅の持つ意味が変った。
もっと彼らと知り合いたいなあ、仲良くなりたいなあという気持ちを持つようになって、いつもいつも心のどこか片隅で、その気持ちを育てることの喜びを学んだ。 目の前に広がる、見知らぬ街の内側にある温もりを、心と体の両方で感じる事を覚えた。
小さな種が、心の中に思いがけずポツンと植えられて、少しずつ発芽して、時間をかけて他の何にも変えられない大好きな自分だけの植物に育っていく。
虫に食べられてしまわないように、
栄養が途絶えてしまわないように、
水が十分に行き渡っているように、
たくさんのお日様の光を浴びられるように、
ハラハラしながら守って、育てていく。
そして 時には、何かをすることよりも、 何もせず、ただ待つ事もまた、大事みたい。
のんびりと、待ってみる。
だって、その植物は、私が育てているものでもあるけれど、自分の力でも育っていこうとするものだから。
そうしたことが、大変であると同時に、たくさんの喜びを自分にもたらしてくれること。 私は今まで、まるで知らなかったんだ。
この夏、ミュンスターから日本で暮らす親友へ宛てた葉書に、こんな事を書いた。
「嬉しい日、楽しい日、寂しい日、がっかりする日、いろーんな日が駆け抜けていく中で、少しずつ、開いていきたい扉が見えてきたみたいだよ。」
その扉が、どんな形をしていて、どんな色で、そもそも、いったい何処に扉のノブがついているのか、今はまだ見えないけれど、きっと、まだ見た事もない素敵な扉なんじゃないかな。
ゆっくりと、待っていたい。
灯火は決して絶やさずに。
もし消えてしまっても、また、何度でも火を灯そう。
2004年09月24日(金)
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