2005年01月08日(土)
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俺はまだこの仕事の楽しさを知らない
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昨年末から立て続けに囲み記事をあてられていて、あっぷあっぷしてた。締め切りが迫るたびにどうしようどうしようと腹の底から会社に行きたくなくて、それでもなんとか記事として辛うじて成立する程度のレベルのつまらない文章を載せてやり過ごしてた。読むに耐えない、ひどい内容で。
記事はざっくり分けると2通りある。一つは雑報。「どこそこの会社がなになにを始めた」とか。もう一つが囲みというか企画記事というか、「最近ぺけぺけが流行っている」とか「こんな取り組みが進んでいる」とか。
雑報は、こういうニュースならこういうふうに書くという決まりがあるので、誰が書いてもまぁ同じ内容になる。だから囲みなり企画記事なりと呼ばれるそのスペースこそが各記者の腕の見せどころとなる。いかにタイムリィでおもしろい話題を選び、どんな取材をしてどう読者に読ませるか、って。
んで、そういう雑報ではない記事を書くチャンスを幾つも与えられて、俺はただただ糞みたいな文章しか書けなかった。もう少し正確に言うと、きちっとした取材もせずとにかく締め切りに間に合わす形で書き上げた。
今週金曜に送稿した最後の「不完全原稿」は、火曜日の紙面で掲載される。週明けにもしかしたら苦情が来るかもしれない、などと怯えながら、まんじりとしない3連休を過ごす。相変わらず、何やってんだろ俺。
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幸いなことに、今の仕事を辞めたいと思ったことはほとんどない。ただ、仕事を楽しいと思ったことも、ほとんどない。同時に、憧れて就いた仕事なのに頑張ってますと胸を張って言えない。もっとやらなきゃならないのに、もっとやれるはずなのにと思いながら、実態が追いつかない。
正直、自分はもっとこの仕事を楽しめるはずだと思っていた。仕事がキツイというのは承知の上で今の仕事に就いた。その点は、前から抱いていたイメージと目の前の現実とにズレはない。ただ、楽しさだとかやりがいだとか、そういう点では、学生時代の想像と現在とでかなり違っている。
新聞記者になりたいって思った理由の一つは、乱暴に言うなら物を書くことが好きだったからだ。何万だか何百万だかの読者を持つ新聞紙の上に、自分が取材してきたことをバーンて載せられる。これ以上の快感はないだろうって思ってた。ところがどうだい。今は、その想像とは逆じゃないか。おもしろいと思わないどころか、書くことが怖いとすら感じている。
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先輩記者と酒を飲んでいた。新書か何かで文章の書き方について解説する内容のものを読み、かなり参考になったという。「いや、けど、そういう一般の本で紹介されてる文章の書き方って、作文とか小論文とか向けの話なんじゃないですか。新聞記事にも当てはまるんですか」「もちろんだよ」。
読む人が興味を持つように工夫するだとか、自分らしく書くだとか、そういった書く技術。それは、小論文やらこういう場で書く文章やらと、新聞記事とでは、それぞれ別の系統の話だと思ってた。だけどなるほど、物を書くという点では何も変わらねぇ。どうやら俺は、「記事を書く=仕事」というようにカッチリ型にはめすぎて、「遊び」を無くしてたんじゃないかと気づく。
「楽しんで書かなきゃだめだよ」って、以前別の先輩にも指摘されたけど、なんだろ、義務感ばかりが先に来て、「これどうなってんだろ」とか「この人に話を聞いてみたい」とかいった好奇心のかけらも無くしている、ずっとそんな状況だったんじゃないか、って。そりゃあ仕事、楽しくないわ。
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とまあそんなことを考えてた年末年始。数ヵ月後にはもはや自分は「新人」でいられなくなる。一通りの仕事には慣れた。この先は、肩の力を抜いて頑張るべし。というわけで今年の目標は、「仕事楽しんでます、頑張ってやってます」と言えるようになること。どうぞ今年もよろしくです。
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