2005年01月17日(月)
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3つの新たな生活を振り返る
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昨年10月15日の文章で、自分の仕事の状態をおにぎり屋の厨房に例えた。ご飯やおかずが足りないけれど、無理しておにぎりセットを作って売らなければならない。だから中途半端だけど無理やり形にして、お客さんに売るんです、って。そんなおにぎり屋の経営が、軌道に乗りつつある。
年が明けてからなんとなく好転している。とりあえず明日出すメニューには困らないことが多くなった。おかずを探す技術も、おにぎりを握る技術も、向上してきた。材料も厨房に常備できている。ただし、明日の分だけ。
明日をやり過ごすことは可能だけど、明後日はどうなるか分からない。そんな状態でまわっている。不安はまだついて回るけれど、一日先もどうなるか分からないで突っ走ってたこれまでに比べると、余裕が出てきている。
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昨年4月を境に生活に3つの変化があった。一つは、学生から社会人になったこと。それから、実家住まいから一人暮らしになったこと。そして、関東から関西に暮らしの場が移ったこと。年明けを経て、一つ目の社会人生活は、ようやく落ち着いてきたわけだ。そしてはや、「新人」ではなくなる。
さて問題は、残り2つの変化への対応だ。初めての一人暮らしが興奮に満ちていたのは、最初の一ヶ月だけだった。掃除洗濯炊事にゴミ出し、きちんとやれているのは果たしてどれだけだろう。
掃除機をかけてからまたかけるまでの間隔はかなり空いている。ゴミは数週間出さずに積まれていることが多い。幸いにまだゴキブリの姿を見ていないが、それは普段流しを使わないからだろう。平日はともかく、休みの日も外食の比率が極めて高い。布団を干すのは、よっぽど気力がないと無理。
ぶっちゃけまだ電話が止められている。今も漫画喫茶から更新する平日の夜明け。というわけで当面は、生活のインフラを整えなおして、次にリズムを作ることが課題になるなぁと思いながら、遅々として進まないでいる。まぁ、ぼちぼちやってこうくらいの意気込みだから、まだまだかかるだろう。
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一人暮らしをどう過ごすかよりも気になるのが、関西に暮らすことの意味だったりする。入社前から、配属地は名古屋を希望していた。2つ理由があって、万博を取材してみたいと思ったことと、20年近く過ごした東京とは別の空気を吸って生活してみたかったから。今は関西にいるわけだから、その望みのうち1つはかなったことになる。で、じゃあ今どうなったのか。
1月17日。大震災から10年。まさにその現場に暮らしながら、テレビや新聞を通じて当時の状況や今の動きを知る。直接話を聞きだせる知り合いはいない。それで初めて、あぁ、俺、何やってんだろと思った。
大学からのつながりや、職場の関係の人以外で、俺、関西に新しく知り合いがいるのかと考えてみた。・・・・・いねぇじゃんか。唯一頭に浮かんだのは、合コンで知り合って付き合って3週間で分かれて音信不通になっている女だった。もう名前すら忘れかけている。なんか、がっくりする。
よくよく考えてみると、週末は誰とも話しませんでしたーという場合が多い。寝てばっかだし、近所で飯食うとか、買い物する以外に、特に時間の使い道を見つけられてない。これはまずい、と思った。まったく新しい土地で暮らしているのに、俺の世界は狭いままじゃないか、って。
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今の生活を過ごせるせっかくのチャンスを、ふいにはすまい。働いてりゃ仕事に慣れるのは当然のこと。オフの日を生かせてこそ、今の生活の意味はあるんだろう。去年は日々を過ごすだけで精一杯だった。少し落ち着いてきた今、関西を離れるときに後悔しない暮らしを築きたい。タイムリミットは、あと2年(場合によっては、まだあと4〜5年あるけれど)。そのとき俺は、26歳。などと、気持ちを新たにする。
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