2002年12月03日(火) |
音信不通状態ですみません |
お久しぶりです。
しばらくこの日記も掲示板のほうにもまったく書き込みをしなかったどころか、メールにもよほどの急用でないかぎり、お返事していませんでした。音信不通状態にしていてすみませんでした。
帰国後しばらくしてから、なぜか現実逃避ならぬ、仮想世界からの逃避をしていました。掲示板メッセージにも、メールにも何度か返信を書きかけるのだけれど、言葉が出てこなくて、苦痛でしかたなくて、結局削除してしまう、ということを繰り返していました。
いまはすっかり大丈夫で、無理をしてこれを書いているわけではありません。なぜそうなったのかも、なぜ昨日からメールを書く苦痛が薄れたのかもよくわかりませんが、これから徐々にネット生活に復帰していきたいと思います。
ひきこもりかな〜?とか、鬱なのかな〜?とか考えてもみたのだけれど、別に現実世界では無気力なわけではなく、外にも出ているし、仕事がハイシーズンを迎えるまえに終わらせておきたいことも順調に進んでいます。
今回の日本滞在はとても長く、たぶん2月の末まで。 住む場所をフランスから日本に移すことも考えているので、両親や仕事関係の人といろいろ話し合うつもりです。
そんなこんなで、サイトをどうするかも考えていたのですが、まだ Paris に住居を keep していることもあって、3月まではサイトのほうはいまのままにしておこうと思っています。
ただ。。。父の Win パソコンだと、拡張子が html の4文字のファイルを扱うのは難しいらしく、.html ファイルを Windows XP で扱うための TIPS をわたしが見つけるまでは、サイトの更新は無理かもしれません。
よろしくご了承くださいませ。
2002年12月07日(土) |
メインテナンスのとき |
日本に来てからいままではいろいろなもののメインテナンスの時期でした。
まずは家族関係のメインテナンス。(<おいおい・苦笑)
父や母と話をするのはほぼ1年ぶりです。 加えて、2人ともあと数年のうちに退職するので、retire 後、どこに住むのか、いま住んでいる家には妹とわたしのどちらが住むのか、わたしは結婚する気があるのか?(笑)、わたしはいつまでフランスに住み続けるのか、などなど、話題はたんまり。
わたしがフランスで子どもを産んだら、ベビーシッターに来てほしいと、ずっと母をたきつけていたこともあり、母は暑いのが非常に苦手なので、夏の間だけでも退職後は Paris に住みたいという思いがあり、わたしがはじめて海外に出たのは13歳のときだったので、2人とももうすっかりわたしが日本にいないことには慣れており。。。
と、どうやら母のほうはわたしにフランスに残ってほしいようです。 母が働きながらわたしと妹を育てるにあたって、わたしたちが病気のときなどは必ず祖母が出動していたこともあって、孫の面倒を看させられる点にはあまり抵抗がない様子。
父とは。。。。 中学、高校、大学のころは「大っ嫌い!!」と公言してはばからなかったのですが、近頃はだいぶまともに接するようになってきたかなぁ。ADSL化するにあたって、2人でパソコンショップに行ったり、自宅近くに高速道路ができるので、開通前に徒歩で歩けるというので、一緒にお散歩しに行ったり。以前だったら考えられなかったようなことをしています。
わたしのほうがこの歳になって大人社会の事情というものがわかってきたので、高等専門学校しか出ていないのに、名前の知られた会社でかなり高い地位につけてもらって、自分の部下は全員が一流大学卒で、というのはやっぱり家庭を顧みずに、ただひたすら会社のために一生懸命働いてきたからできたことなんだな〜と思えるようになったというか。そういうことは、やはり高校生くらいの年頃にはわからなかったんですね。
妹とわたしのどちらがいまの家に住むことになっても、家に住むほうがお墓のメインテナンスやお寺さんとのおつきあいもすることになるわけで、いつどういうことをするものなのかもいまのうちにお勉強、です。
それから家のメインテナンス。
実家は築10年をむかえたので、そろそろ最初の一大メインテナンス期です。 メインテナンスついでに、屋根にソーラーシステムを乗せてしまおうか、とか、生ごみ処理機をつけようかといった話し合い。20年目のメインテナンスをするのは、もしかしたらわたしの役目になるかもしれないし、30年目には建て直しも検討するように言われているので、この件もいまのうちにしっかり話を聞いて、勉強しておかなくては、です。
メインテナンスなんてほどのことではないけれど、長期間日本に住むために、わたしの部屋に置かれていた、父や妹のものを部屋から追い出し(笑)、クローゼットのなかを片付けているうちに、高校生や大学生のころ着ていた服が出てきたり、はたまた中学のときに来ていたお気に入りのペチコート(レースが素敵だった!)まで出てきたりして、母に見せて2人で大笑いしてしまいました。
だって、ミニスカートばっかりだったんですもの。 現実の世界でここ数年のあいだにわたしと知り合った人で、わたしがミニスカートをはいているのを見たことがある人なんて、たぶんゼロだろうなぁ。 クロゼットの奥から出てくる服を見ながら、「わたしってば、昔はギャルだったのね〜」と感慨深く、でも苦笑。ギャルって言葉自体、完全に死語ですよね!(笑)
あとは、時計のメインテナンス。
フランスに行くまえに父から貰い受けたタグ・ホイヤー。 重たくて硬い機材ケースなどにガツンとぶつけてもびくともしないので、重宝していたのですが、電池を換えても1日ともたず、止まるようになってしまいました。
もともともらった時点ですでによく止まる状態で、だからこそ父はわたしにくれた(笑)のですが、最初はなぜか電池を変えただけで、しっかり動き始めたんですね。それでも何ヶ月かに1度突然止まってくれて、ひやひやしつつも使い続けていたのですが。。。
さすがに1日ももたなくなったらもうアウト。
表参道のショールームに持ち込んで相談したところ、オーバーホール決定。総額2万円弱の出費は痛かったけれど、2万円以下で買える時計でほしいと思えるものを探すのも面倒だし、タグ・ホイヤー以上にタフな時計はそうそう見つからないだろうし、ましてや新品のタグ・ホイヤーで、それだけのお値段出してでも手に入れたいと思えるものもなかったので、しかたなく。
今日オーバーホールから戻ってきた時計を父に見せ「もう絶対返さないからね!」宣言をしておきました。(笑)
修理後、無料で届けてくれるのはいいんだれど、自宅に電話がかかってきて、「いまからお届けにあがってもよろしいでしょうか?」「はぁ、どうぞ」「もう下に来ているんですが」って、なにごと?(笑)
袋には「配達のまえに必ず連絡を入れること」って赤い印が押されているあたり、本来は車を走らせるまえに電話すべきところ、うちのまえまで来て、荷物を手に取った瞬間に電話を忘れていたことを思い出したのかしらん?
かくして、配達の人は、うちのインターフォンを鳴らすことはなく、電話だけでわたしを呼び出したのでした。
残るは 愛する Win CE 機のJor-chan なのですが、これについては長〜くなりそうなので、仕事が一段落する12日以降にでも。
実は電子デバイスおたくであったことを白状するまえに、素敵なサイトを見つけてしまったので、ご紹介。
ぜひぜひ、TOP ページだけでも見て〜!!! こんなに気に入った Flash ははじめて!
虫だって、こんなふうにぶんぶん飛ぶタイプと、長〜い時間見つめてようやっと動いてるとわかるタイプがいるんだから、人間だって、ぶんぶん素早く動くタイプとのんびりのんびりなタイプがいるのが自然なんだ〜って思ってしまいました。
でもね、わたしは素早くなくてもいいけど、やっぱり空は飛びたいです。(笑)
大好きなウッズが手術で、ちょっと悲しい今日この頃。 早く良くなるといいね〜。>まい・でぃあ・タイガー
先日ご紹介した、「KIVOHの森」のサイトをあいかわらず気が向くと眺めています。 なかをちらっと見てみたら、フラクタルだの、入れ子構造だのという言葉が。
うんとむかし、こどものころ、「自分の身体が細胞からできているなら、わたしは宇宙にとっての細胞みたいなものかな〜?」と思ったことがあります。たぶん、本当は細胞なのは太陽系あたりで、わたしはそれよりさらにさらに小さい地球という原子の周りを回る陽子とか電子とか、くらいなんでしょうけど。(笑)
そして、「わたしの細胞がみんな健康で幸せにしていてくれたら、わたしが嬉しいように、わたしが健康でしあわせにしていたら、宇宙も嬉しいかしらん?」と、ぽや〜んと思いました。
わたしはよく「いやなことや悲しいことがあったら、どうするの?」と人から訊かれることがあるほど、物事をポジティヴに、自分にとって嬉しい方向に捉える性質をもっている(笑)のですが、それは、子どものころこう考えたことがきっかけで、できるだけいい側面を見ようとしてきたからです。
べつに、物事をなんでもネガティヴに捉える人は、宇宙を不幸にしているなんて言いたいわけではないですよ、もちろん。人それぞれ、いろんな経験からいまのその人があるわけですから。
小学校のころ、いぢめられた経験があるけれど、それはわたしの側にもはっきり原因があったし、いぢめられたことで学べたことも多くて、そのときのことを自分にとっていい経験だったと思えたことも、ものごとをポジティヴに見るもう1つのきっかけになっているかもしれません。
そんなことを KIVOHの森 を眺めながら思い出しました。
電子デバイスのはなしに行くまえに、もう1つ補足です。 家のメインテナンスについて考えるときに、とても参考になったのは、神崎 隆洋さんの「いい家は無垢の木と漆喰で建てる」です。
帯に「超整理法」の野口 悠紀雄さんが「『無垢の木と漆喰で作った本物は、時間がたつほど価値が出てくる』という神崎さんの哲学は正しいと、日々実感しています」と書いています。
実家の10年目のメインテナンスで、最初に話題になったのは、TV裏の壁紙の汚れでした。建て直したときに、わたしとしては(当時は完全なヨーロッパかぶれだったので)、欧州式の紙でできた壁紙か、せめて布でできた壁紙にしてほしいと思っていたのですが、予算の都合上しかたなくビニールクロスにしたのです。
そして、10年経って、TVと冷蔵庫の裏側は静電気で真っ黒。 母も現役で働いていることもあって、掃除が行き届いていないのが目立ちます。 ところが、漆喰の壁だとこうはならないのだそう。
ほかのモデルハウスを訪れているときは両親に「早く帰ろう」というお子さんが、神崎さんのモデルハウスからは帰りたがらないというのも印象的。
たくさんの写真は特別な紙を使わずに、文章が印刷されているのと同じ紙にモノクロで印刷されているのですが、そんな写真からでもやはり“いいもの”であることがよくわかりますし、建築の素人でもそれがなぜ人間の身体にとって、ひいてはそこに住まう人の健康にいいのかわかるように丁寧に説明されています。
実家のわたしの部屋は妹の部屋といつでも仕切れるように、2つのドアと2つのエアコンがついた広めのスペース。それを結局一度も仕切ることなしに使ってきました。 ところが、狭い敷地に無理やり建てたので、設計の都合上、わたしの部屋のほうが狭くなっています。
当時西洋かぶれだったわたしは、自分の部屋を洋書のインテリア本に出てくる部屋にそっくりになるようにいろいろ注文をつけ、わたしに甘い母は「これがこの子が望むような部屋に住める最後の機会かもしれない」とわたしのリクエストのほとんどをかなえてくれました。
だから、わたしの部屋はほぼ、当時のわたしの理想どおりになっています。
にもかかわらず、部屋ができあがったのを見たとき、わたしは隣にあった3畳ほどの小さな和室が気に入って、自分の部屋の狭さを理由に、「わたしはこの和室に寝るから!」と宣言しました。その和室の作りにはなんのリクエストも出さなかったにもかかわらず、です。
当時、わたしはどうして自分が突然、この和室を気に入ったのか自分でもわかっていなかったのですが、神崎さんの本を読んで、その理由がわかりました。
家の工事を担当した大工さんが、和室にはかなりこだわりのあるかただったらしく、洋室のフローリングは表面だけ薄〜〜〜〜〜い天然木のシートを貼った合板であるのに対して、和室に使われている素材は“本物”なのです。わたしにはなんの木なのか見抜くほどの目はないけれど、木目の美しいよい木を使っていただけたのだけはよくわかります。
そしてやはり人間は自分の身体にとっていい空間を本能的に察するのでしょうね。和室なんて1つもいらないと言っていたわたしが「この和室で寝る」と即座に思えたのはそれが原因だったのだと思います。
実家の周りは昔ながらの一軒家が立ち並んでいるのですが、どこもここ数年でわたしの祖母の世代が世を去って、建て直しの時期に入っているようです。
趣のある昔ながらの日本家屋が建て直されると、たいていはがっかりする造りになってしまいます。お金のない家ではないはずなのに、どうしてこんな家にしてしまったんだろう?とよその家のことに余計なお世話ながら思うことがありますが、使われている素材の問題だったのだなぁと、この本を読んでようやっとわかりました。
1つ1つ歳をとるごとにいろいろな経験を積み重ねていった人が若い人間には持てない深みのある魅力を持っているように、やはり時間がたつほど味わいの出てくる(または出てくるであろうポテンシャルを感じさせる)ものが本物なんだな〜と思う次第。
問題は、家中の構造や家具をすべて無垢の木で作ったら、いったいおいくらになってしまうのかしらん???という部分ですね。わははは。(^o^;;
実家の敷地だといくらくらいで3階建てができる(敷地の狭さゆえ、3階建て必須 (;_;))のか、だいたい把握したら、それが今後20年くらいのうちにわたしが稼ぐ目標金額ということになるのかな。そしたら将来実家に住むのが妹になったとしても、そのお金でマンションくらい買えるだろうし。
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