戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰
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2008年12月22日(月) ■ |
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言えないの? 云わないの。 |
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僕のバイブル、コンシェルジュではクレームをいうお客の方が大事という。 確かに、何も言わずに離れていかれてもその事実に気がついた時にはとっくに遅く取り返しのつかない事になっているし、何が原因でそうなったのか解明出来ないままに同じ過ちを繰り返してしまう。 何も言わずに離れていけば楽かも知れないが、例えきらいになったとしても傍にいたのは一時でも親しみがあったからで、そうして逃げ出すのならば本当は愛していた事にはならない。
気がついてみれば、上手く乗せられただけの気もするし、きちんと理解出来ていなかったに過ぎないのやもしれない。 どういった対立が、どのような原因を元に、関係し合って生まれたと、一体どれだけがリアルタイムで理解出来るというのだろう。 充分なエクスキューズではなかったと文句ばかり言ったって仕方がないのだ。 離れていく人に、附いていくというのがどちらに対してもなんとまぁ失礼且つデメリットまみれなのかと、気づく事は出来なかったのだろうか。 その行為が、今まで言われなかったから気がつかなかったと傷ついている人達にとって、どれだけの裏切り行為に見えるのだろう。 結局両方とも残らなかった現状が丁度答えのような気もするし、所詮は発展途上な気もする。
或いは、今度はそうする立場になって、それではあんまりだろうかとも思えてくる。 どうしたって相反する時はある。違いは愛で尊びたいけれど、気を遣い合って互いを削り合ってまで一緒にいるのはナンセンスだと、思うから。 しかし相手にしてみれば実に一方的な通告に取れるのかもしれない。何せそれまでは仲良しこよしに少なくとも曇った眼には映っていたのだろうからして。 だが言ったところでその台詞は聞き届けられるのだろうか。途中で中断され最後まで言い分を聞いても貰えず、選んだ言葉も煩いと一蹴されて、ぐしゃぐしゃにされてしまうなら無意味だし、そしてそういう人達だ。 いっそ文章にしてしまえば全てを読まねば反論は出来ず、という点で個人的にも好みが合致するのだけれど如何せん昔気質故に文字なんて況してメールだのなんてにすると礼儀を欠くだとかでやっぱりきちんとは見做して貰えない気もする。 此方にしてみれば、ああ言えばこう言うで結局人間なのだと見ようとしない身勝手な行為、或いは都合のいいコマとして利用したいだけなんだろうとかしか思えないのだが到底。 そんな誤解まみれで嫌気が差して誰も何もしない世界になるなら、莫迦みたいでも傷ついても、叫んでいたいというのは、ただの狂気なんだろうか。 阿呆なんだろうな。
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