運の尽き具合。 |
死にたい系、恋愛片思い系、自分最低系。 おっしゃってることにとりあえず同意すればよろしいですか? ---
25Kgの少年は中学三年生だった。 ネタが無いからひっぱってるわけではなくて。
昔、北野武がビートたけしだった頃、ギャンブルを一切やらない理由として「運の量」について語っていた。
人間の運の量ってのは決まってる。 その有限である「運」をギャンブルに使うなんて絶対嫌だ、というわけ。 俺もある程度賛成する。水戸黄門の、あの無責任なテーマソングもあながち嘘ではないのかもしれない。なにか悪いことがあったら、その分どこかで良いことがあると。それは各人の「運」によって絶妙に調整されるのかも。
「返され方」は満額で返ってくるか、それともちょびちょびかも知れない。 ひょっとしたら生き続けてること自体で消費してるかもしれない。
さて。 だとしたら。
25Kgの中三生徒は生きている間になんらかの形で「良いこと」を返済してもらえるのだろうか。間違いなくトラウマを抱えて生きる彼に「幸せ」はあるのだろうか。
さてさて。 だとしたら。
俺は都合4回、大げさな話でなく死にそうな目にあってるので、そこで随分消費したんだろうな。
ちなみに記念すべき一回目は生まれたその日だった。 俺は逆子だったので足から出てきたわけだが、首まで出てきて後は頭だけ、というタイミングで、踏ん張り方を間違えた我が母は思いっきりアソコを締めてくれたのだった。俺はあやうく窒息死するところだったのである。
「膣に挟まれ窒息死」
こんなつまらないことで、俺の運の半分が消費されてたらどうしよう。 ・・・なんてことを朝考えてゲッソリした気分になったのが今日の朝であった。
無理矢理韻を踏んでみたんだけどどうだろう。 ヒップホップ。アイラヴニューヨーク。
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2004年01月29日(木)
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