- 2007年07月10日(火) 萩尾望都『トーマの心臓』と福永武彦『草の花』
覚えておきたいので、コピペ。
(もしかしたら以前にも同じことをやったことがあったかもしれないけど、覚えてないのでまたやっちゃう)
http://www.geocities.jp/hebiichigo42/hagio/thoma.htm
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トーマの心臓
人には二度の死がある〜福永武彦「草の花」より
「トーマの心臓」の冒頭、トーマのモノローグにあるこの言葉は、「草の花」の中の一節を継承しているのではないかと考えられる。そして、それは全体のテーマとも響き合っているのではないだろうか。
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福永武彦「草の花」第一の手帳より
この小説の大部分は、主人公の「私」が同じサナトリウムに入院していた「汐見茂思」という患者の死後、彼から預かったノートに記されていたものである。 汐見は、高等学校の弓術部に属していた時、後輩の美しい少年「藤木忍」を愛していた。しかし、その愛は受け入れられず、しばらく音信のない間に藤木忍は19歳で夭折した。以下は長い引用となる。
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一人の人間は、彼が灰となり塵に帰ってしまった後に於いても、
誰かが彼の動作、彼の話しぶり、彼の癖、彼の感じ方、彼の考え、
そのようなものを明らかに覚えている限り、なお生きている。
そして彼を識る人々が一人ずつ死んで行くにつれて、
彼の生きる幽明界は次第に狭くなり、
最後の一人が死ぬと共に、
彼は二度目の決定的な死を死ぬ。
この死と共に、彼はもはや生者の間に甦ることはない。
しかしこのような死者の生命は、
それが生者の記憶に属しているだけに、いつでも微弱で心許ないのだ。
従って生者は、
必ずや死者の記憶を常に新たにし、死者と共に生きなければならない。
死者を嘆き悲しむばかりでなく、
茫び去った生命を呼び戻そうとすることは、
生者の当然の義務でなければならない。
・・・
彼の魂は永遠に無垢のまま記憶の中にとどまっている。
彼は美しい魂を持った少年で、
その記憶を新たにするたびに、僕の心まで清々しく洗われるのを感じる。
僕の心がArcadia(アルカジア)に帰る度に、
僕は藤木が、純美な音楽のように、僕の内部に今も生きているのを感じる。
死者は遂に戻らない。そして僕もまた遠からず死ぬだろう。
・・・
僕の死は、
僕にとって世界の終わりであると共に、
僕の裡なる記憶と共に藤木をもまた殺すだろう。
僕の死と共に藤木は二度目の死を死ぬだろう。
しかしそれまでは、
僕の死までは、──藤木は僕と共にあり、
快い音楽のように、僕の魂の中に鳴りひびいているだろう。
音楽として印象づけられた人生、
それはたとい短くとも、類ない価値を持つものではないだろうか。
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