−最後の切り札−
INDEX − past − will
今こうしてテキストを綴ろうとすることすら、村山由佳氏が言うように『人間としてどうか』のラインなのかもしれない。 テキストを操っていると、誰にもわからないように。またはただ一人にだけわかるようにと言葉を埋め込むことは良くあること。 それは良きようにも悪しきようにも書くことができる。綴る私と共に誰かの気持ちに触れるように、甘くも悲しくも痛くも。 体験したり、目にしたり、読んだりしたことをテキストに変換する。このことへのスイッチが簡単に入るのは怖いことかもしれない。 性癖と仕事上、スイッチはいつでも入れられるようにしている。ただこのスイッチは暗さを灯すもの。綴り終えるまでは闇の中。 何も楽しいことなどないような気がするけれど、この時代プロでもアマチュアでも、テキストを綴り続ける人間はだいたい同じ。 自分を追い詰めて切らなければ何も生まれない。その時に周りすら切ってしまいたくなるのだ。時にそれは無意識。これが怖い。 そしてこれも性分。今日のテキストは本当に切ってしまいたいことを昇華させようとしている。もちろん自分を代わりに切って。 こうまでしてテキストを置く必要はないのだけれど、切り札として、言葉を操る術を少し持ってしまった人間の愚かさ。落ち着かないのだ。 けれど今日は『人間としてどうか』のその手前で止まれたことを誉めてやろう。 綴らなくてもいい言葉もある。
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