日々雑感
DiaryINDEXbacknext


2006年06月28日(水)

両親が善光寺参りをするというので便乗。長野へ行ってきた。

善光寺には「お戒壇めぐり」なるものがある。本尊が安置されている瑠璃壇の下にある回廊を通り、中程に懸かる錠前を探り当てると、本尊と結縁し、極楽へと向かえるのだという。

お戒壇の中はほんとうに真っ暗。すぐ前を歩く人の気配さえ分からない。そうした中では自分自身の輪郭も曖昧になって、闇に呑み込まれそうでひどく怖い。壁に触れている右手の感覚だけを頼りに、ぐるぐるとめぐって、ぼんやりとした外の明かりが見えてきたときには心底ほっとした。

外に出たあと、母親が「死ぬときってこんな感じなんだろうね」と呟いた。最後には誰も皆ひとりで、暗闇の中を手探りでくぐり抜けていかねばならない(「その先が花畑とかだばいいどもな」と父親は言う)。

自分のほうは、人が生まれるときのことを思った。暗くて狭い産道を通り、光ある世界へと出てゆくのだ。

人が生まれてくる場所と、還ってゆく場所とは、ひょっとしたら同じなのかもしれない。暗闇を抜けて光のもとへ。あるいは、そんなふうにして闇の中を何度もくぐり抜け、生まれ直してゆくのだろうか。

旧約聖書の創世記の冒頭のことば。

「はじめに混沌があった それから光が来た」


ブリラン |MAILHomePage