みょうの日記
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2007年04月24日(火) 市長選挙に思う

これはいったい何のための選挙なのか。

時折、感じる事だ。
いわゆる『弔い合戦』というやつだ。

弔い合戦うんぬん聞くたびに、何か根本的に違うんじゃないか? と思う。
今回の市長選挙も強くそれを感じた。

選挙の結果は僅差で負けたが、陣営の彼女は言ってはいけない言葉を言ったと思う。
「(亡くなった)父はその程度の存在でしたか?」
これはいけないだろう。もし、前市長が本当に人格者であるならば、その言葉こそ悲しむのではないだろうか。
市長という職は、というか、あらゆる公務に関わる職は、本来世襲制であってはならない。後を継ぐ者がそれなりに実績があるのならまだしも、いきなり継ぐためだけに担ぎ上げられた者が、引き継いではいけない職なのだ。

事件そのものは非常に残念だったし、あってはならないことだった。

けれど、一時の情だけで委ねてしまっていい職なのか。

今回、無効票も多かったという。亡くなった前市長の名を書いた人がいたらしい。これもどうかと思う。
この先何年にも渡って自分達の生活を委ねる人を選出するものなのに、その辺のことをその人たちは考えているのだろうか。
亡くなった人へのお悔やみは相応の仕方があるのではないか?
中には、前市長の名を書けばそのまま後継者の票に流れると思っていたというトンチキなことを言う人もいた。それらがもし、そのまま後継者票となっていたら、もしかしたら弔い合戦は成功していたかも知れない。

そんないい加減な思考で国政を県政を市政を任せてしまっているんだから、後で税金が〜教育が〜などと文句をいう筋合いはないんではないかとさえ思えてくる。

大げさではなく命がけで選挙を行う国もある。
望んで望んで多くの血を流してようやく選挙ができるようになった国もある。

日本の選挙はいったい何のためにあるのだろうか。


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