長雨の続く夕刻の水溜まりに影が映ることは ない。泥水のように濁るわけでもなく、清水 のように色も無くすべてを透過するわけでも なく、それは雨水と呼ばれるものと酷似して いる。事実、それは雨水と呼ばれても遜色が ないのかもしれないし、誰もがそれを雨水と 呼ぶのだろう。
雨は遥かな高みから傘に激突してくるが、そ の軽さゆえに重力の力を借りても傘を突き破 ることはない。ただ、音だけを残して雨は傘 に敗れ去っていく。雨の望むと望まざるにか かわらずそれは決定づけられていて、運命と 呼んでもさしつかえないものだけが残る。
いくつかの水溜まりのひとつには必ず、細く 白い手が無数に伸びている。アルビノのミミ ズのようなその白い手は何か、目の代わりの ような器官を使って周囲を感知しているらし く、通り過ぎる人々の膝をめがけて突進を繰 り返す。その試みのほとんどは失敗に終わる が、時折、遠ざかっていく人の速度に合わせ てするすると伸びていく手も見える。
雨は水溜まりを浸食していく。雨水は雨水と 呼ばれるものと出会い、同化し、水溜まりは 他のいくつかの水溜まりとつながり、境界と 境界はその意味を放棄する。白い手の群れは 密集できる場所を失い拡散していく。飽和こ そが存在価値であるかのように、その群れは 失われる。
傘はない。 群れのための傘は、どこにもない。 存在しない。
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