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Date 2007年03月10日(土)
最近の わたし。
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いや、本当にご無沙汰。

11月の日記を最後に、三ヶ月近く放置。

ちょっと近状報告しときます。

・11月は、無事に戦い抜きました。W丸標+2.5Nで目標達成。死ぬほど忙しかったし毎日帰宅も遅く晩御飯も遅く…。

・12月は、11月の忙しさの甲斐あってか旅行資格も夏に引き続き取れまして(夏は飛騨高山)、冬の北海道旅行に連れて行ってもらえました。旭川動物園の白熊とペンギンに予想以上に萌えてました。

・1月は、初めて丸標3Nを落とし、2Nしか取れず。疲れが取れない日が続く。

・2月、、会社の友人より風邪をもらい、1週間近く、仕事にならず。。気力が続かず、0.5Nという成績で終わる。そして、「退職」という言葉が、頭をよぎる。
そして、この仕事を選んだキッカケから今現在までのことを振り返ってみた。


一昨年の7月末日、主人と一緒に二人で、私の実家を飛び出し、主人の実家へ逃げるように住まった。

身の回りの整理も片付き、家にいてもやることはないので、パートでもいいから仕事に出たいと考える。

N本生命に加入していた私は、担当者に電話して「名義と住所変更」を依頼した。(担当者は64歳の女性だがとても魅力的で笑顔が素敵な有績者だった) 彼女を、部屋まで通し、手続きをすませ、大まかな身の上の事情を話した。私は、寂しかったし、自分が実家を放って出たことを正当化したかったし、「間違ってなかった」と言ってもらいたかったのだと思う。
彼女は、私の実家もおばちゃんちも知っているし、内情も知っている人だった。おばちゃんの信頼も得ている人でもあった。私は、彼女を通しておばちゃんと繋がっていたかったのかもしれない。

(後から彼女から聞いた話だが、彼女は初めて、今私たちが住んでいる家を訪問したとき、今まで私が暮らしてきた家とのギャップに驚き、「どうして雅紀ちゃんがこの家に住むと決心したのかしら」と切なくなったそうだ。
まぁ、それほど私が、実家と仕事との間で苦しみきり、本当に耐えられなかったから出て、この家を選んだということだ)

私が、パートを探していることを知った彼女は、「一緒に働いてみない?」と誘ってくれた。
福利厚生がしっかりしていて、1年勤めれば産休と育児休暇が取れる。そこに魅力を感じて、二つ返事で、軽い気持ちで入社を決めた。

実家は、個人でも法人でも、N生オンリーの契約だったし、私もそうだった。父が病気になってから捨てた女性も、N生職員だった。イヤな思いも、その女性のせいで散々してきたが、他の担当してくださってた方達が魅力的で素敵な女性ばかりだったので、私はN生ファンだったとも言える。

研修にて、保険の勉強をしている最中、妊娠が発覚。勉強をしはじめて2週目のことだった。
私はというと、「これからはしばらく、自分の為に生きるんだ」と決めた矢先の妊娠だった。
酷いつわりに悩まされながら、「このまま生んだら、私はこの子を愛せない。この子の為に人生を振り回されて終わったんだと憎んでしまう。子供を操縦してしまう自分を確信している。今は、駄目だ」と、中絶を決意した。

中絶手術の為に、前日より入院し、病院にて眠った夜、健康な人間になりきっていない赤ちゃんが夢に出てきた。満面の笑顔で私に笑いかけ、細い骨のような手を私に伸ばし、抱っこしてほしいと体中で要求していた。私は、あまりの愛おしさに涙があふれてきた。抱き上げたいのは本当の気持ちだけど、人の形になりきれてない赤ちゃんだったから、きっと抱き上げたら崩れて壊れてしまう…そういう不安から、この手に抱けず、赤ちゃんが横たわっている布団に、私は上から覆いかぶさり体と顔を近づけ…ようとした時、目が覚めた。あんなに可愛い愛しい赤ちゃんを抱けなかった!しばらく、涙があふれてたまらなかった。。

そんな夢を見て、急にとてつもなく、まだおなかにいる赤ちゃんが愛惜しくなった…が、こんなに可愛いと思う赤ちゃんを私は幸せに育てる自信が、やはし、全く、無かった。可愛い赤ちゃんを、精神的不幸においやっていいのか、と。
だから、予定通り、赤ちゃんが可愛いから、手術を受けた。詭弁か?・・・そうかもしれない。

術後、お風呂場で散々泣く日が続いたが、「まずは自分を幸せにしなければ」と、一般の社会で働き、土日は主人と過ごし、自分を甘やかした。
自分の気持ちをおちつけて、なぐさめて、楽しんで、大いに笑って、自分を愛そうと。主人を、家族の目を気にせず愛そうと。
(そうでなければ、私は母親になれない…と思って。)
私のおなかへ来てくれた私の赤ちゃんに、甲斐ある自分になろうと、まずは自分を伸び伸びとさせた。

会社に誘ってくれた64才の先輩と、私のリーダーの上司(女性)だけが、この事実を知っている。

主人を紹介してくれた友人が、ちょっと久しぶりに会ったとき、「あれ?太った?(笑)けど、笑顔がいい感じだよ〜幸せなんだな〜って感じるよ」と言ってくれた。

その友人の母親も「私と同じ境遇で育ってきて、同じ暗さがあるのがわかる。同じ匂いがするわ(笑)けど、あなたが旦那さんのお陰で伸び伸びしているのがわかるわ〜笑顔に翳りがなくなってきたよ?」


入社5ヶ月後、おばちゃんに連絡しないといけない用事ができた。
(できたというよりも、自然とそうなった。自然とそうなったわけでもあるが、自分から飛び込んで仕向けたとも言える。)
それを幕きりに、実家との交流が再開した。それから翌年の1月中旬まで、話をするたびに、姉とおばちゃんから「雅紀達が突然出て行った時、自分達がどんなにショックをうけ、心労で苦しみ、生活と仕事と共に苦労してきたか」を聞かされた。
始めの頃こそ、全面的に「私と主人が悪い」の一点張りで、自分達に非は無い話でしかなかった。
けど、昔だったら引き下がった私だったが、言い返した。
私だって苦しかったということ、悲しかったということ、助けてほしいと頼んだが全く聞く耳無かったじゃないか、と繰り返し同じ話をしてきた。

おばちゃんだって辛かっただろうし、お姉ちゃんだってお母さんが帰ってくるまで家と仕事で大変だっただろう。けど、私の周りの人たちが、それぞれ自分の話と事情だけで生きてきて、その間、私だってとても辛かった。それでも仲良く暮らしていきたくて、そのためにはお互い支えあわなくてはいけなくて、そのためには、私だって話を聞いてもらいたかったが、先入観と保身のために、姉も父も、おいちゃんも聞いてくれなかったじゃないか。私も、諦めてしまったけれど、それは周りの人達も同じだったはずだ。そうやって私ばかりを責めるのは、酷すぎる話だ。

何度も繰り返して話して、お互いの気持ちを吐露した。

そうやってきて、やっと、
私は、おばちゃんの人生を生きるために生きているわけじゃない…と、わかってもらえた…気がする。
お互いに、みんなが、寄りかかりすぎな生活は、おかしかったと。


おばちゃんは、言った。
「私には、私の人生があるように、雅紀には雅紀の人生と生活がある。
 お互いが、みんなが幸せである為には、近すぎないのが大事なのね。
 今まで、私たちはとても近すぎた。けどそれは、近くないと生活と仕事が
 成り立たないようにお互い依存してたのよね。
 今、あなたは結婚して別の家庭で生計している。
 そして、今、実家の会社も、一族の会社としてではなく、世間一般の会社として
 再出発しようとしているなかで、一族の過剰な会社への癒着を断つ仕組みが組み込まれていっている。
 いままで、誰かが犠牲になり支えてきて、初めて成り立ってきた会社が、一人立ちしていっている。
 雅紀の姉も結婚して家を出たことで、それぞれの家族が、それぞれ成り立った。
 私たち一族も、会社をおんぶに抱っこしつつされつつは、終わりね。
 お互いが、自分達の生活に責任をもって、自分達の甲斐性でやっていくこと。
 これが、お互いの生活を守るためには、必要不可欠なのよね。
 ずっと、こうなりたくて思ってきたけど、会社のことがあり、今まで公私共に犠牲にしてきたから
 とても苦しかった。けど、会社がこういう風に良いほうへ向かっていき、清算へ繋がる見込みができてきた今、肩の荷がおりるわ。。」

 実家の会社の、未来への不安要素が、軽くなる。
 細かい調整は追々だけれど、現在進行中だ。



結局のところ、私は、N生に勤めていても自分の仕事よりも、実家のことがきになるんだなぁと、行き着く。

(あくまでも、自分と家族を犠牲にしないことが厳守、のお話)


N生は、ノルマ至上主義では無くなったといって久しいらしいが、現状はそうでもない。
首都圏からきた営業部長のおかげで、昨年とは打って変わっての(支社内では)首位をキープ。全国平均でも、実働では上まる結果を残してきている。

しかし、今度の4月より、本当にノルマ至上主義ではなくなる発表が出た。
(しかし、お給料を稼ぐには、ノルマ達成が一番だが…)
つまり、成績が取れなくても、お客さまと会い、保全手続きや活動を地道にやっていけている職員を評価し、それをお給料に反映しよう…という話だ。
いい時代になった。

さて私はというと、辞表を出した。



続きは翌日の日記へ→

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