月のシズク
mamico



 思い出アルバム

思い返してみれば、あれから10年、いや、それ以上経っていた。
年度が変わるちょうどこの時期、高校一年生だった私たちはアメリカに行った。
とある基金のバックアップで、中西部の小さな町に降り立った日、空港は氷の
ような雪に包まれていた。16歳のアメリカは、それぞれの小さなきっかけとなった。

あのころのメンバーで、東京在住の4人が新宿の片隅に集結した。
7人中の4人だから、過半数以上が、生まれ育った町を離れて暮らしている。
同じ高校出身のカズシは、外資系の商社でアナリストをしている。珠算日本一
にもなったトモは、靴下のデザイナーだそうだ。そして、5年半ゴールドコースト
に住んでいたミホコは、昨年夏に帰国し、今は商社で貿易担当をしている。

挨拶もそこそこに、すぐに打ち解けた雰囲気に包まれる。
「ピアス開けたの、あの時だよね」というミホコの台詞から、私たちの
思い出アルバムは、次々と、暴力的なまでに解き開かれる。

セント・パトリックス・デイに緑色のデコレーションケーキを食べたこと(この日は
みな、緑色の衣服を身につける)。それに、裏ビデオなる代物を初めて見たのも、
あの頃だった。シカゴのホテルで、カズシとトモの部屋に全員が集まり、ソファや
床に座り込んで「うわっ」とか「ぎょえー」とか奇声を上げながら画面に食い入る
ように見ていたっけ(苦笑)。

そんな幼い私たちだったが、トモがこの9月に結婚するという。
「もーね、先週、彼女の家に挨拶に行ったんだけど、大変だったよ」
女性陣のミホコと私が身を乗り出して、「で、で?」と話を先に急かす。

「前日にクシャミしてギックリ腰やっちゃってさー。先方のお宅に着いて、
 座布団にも触れず、『結婚させてください』って云ったんだよ。で、痛い
 腰を我慢して床にオデコをこすりつけて、もういいかな、と顔を上げたら、
 お父様がどわーって泣いていて、彼女もぐしゅぐしゅでさ。お母様が、
 『もー、この人たち涙もろくって』って一番肝が据わってんの」

こんなトモだが、当初アメリカ行きメンバーには加わっていなかった。
予定されていた子の喫煙が見つかり、急遽、メンバー交代で参加だったのだ。
何度目かの事前打ち合わせに、突然トモが現れた。そのときスタッフさんが
「××くんは、胃潰瘍のため参加できません」と告げた。その瞬間、私たちは、
笑いをこらえるのに必死だった。高校生の情報網を侮るなかれ、と。

話していると、脳のいろんな回線が開いて、一気に過去の記憶が映像と
なってよみがえってくる。シナプスが繋がりまくってゆくというかんじ。
結局4時間近く居座って、新宿駅で別れた。「じゃねー」と手を振りながら、
それぞれの方向に歩いてゆく三人の笑顔が、16歳の私たちと重なった。


2004年02月28日(土)
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