蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2014年10月26日(日) 江國香織さんと湯川豊さんの対談記録〜須賀敦子の世界展

須賀敦子の世界展 記念対談 「須賀敦子の魅力」 
出演:江國香織さん(作家)、湯川豊さん(文芸評論家、「須賀敦子の世界展」編集委員)
日時:2014年10月26日(日)午後2時開演
会場:神奈川近代文学館2階 展示館ホール


<注>
以下は、蜜白玉の聴講メモ書きをもとに作成した記録です。実際の講演のお話とは異なる部分があります。また、第1部から第4部の区切りについても私の独断によるものです。会場の雰囲気や、対談の間合い、言葉の切れ端をお楽しみください。

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湯川豊さん(ゆ)
もうはじめていいんでしょうかね。

江國香織さん(え)
いいと思います。

(ゆ)
江國さんは、ギンズブルグ『ある家族の会話』の翻訳を同時代に読んで、以来魅かれているということですが、そこからおはなししていただこうと思います。私はまた今度ここで講演があるので(注:記念講演会11月3日(月・祝)「須賀敦子を読む」 講師:湯川豊)、今日は江國さんにたくさんおはなしをしていただくつもりでいます。

(え)
そんなそんな。



*** 第1部 物語的性質 ***


(ゆ)
江國さんは須賀さんについて、いくつか短い文章をお書きになっていますが、須賀さんの作品についていかがですか。

(え)
須賀さんの作品には“なつかしさ”と“手触り”がある。そして、「現実と物語」、あるいは「日本とイタリア」をつなぐ場所へ連れて行ってくれます。

(ゆ)
つなぐ場所とは、具体的に?

(え)
つなぐ場所、つながる場所とは、本の中の世界と外の世界をつなげてくれる場所のことで、ひとつには須賀さんのお書きになる文章力、もうひとつには性質(あと当然のことながら努力も)による。物語を常に感じさせる。

(ゆ)
それは、物語的性質、というか体質というか。

(え)
同化しやすい性質ともいえる。

(ゆ)
須賀さんの作品は、「回想的エッセイ」という大きなジャンルにカテゴライズされるが、何を説明しても物語的になってしまうのが須賀さんの文章である。

(え)
抽象概念としての「物語の生息する場所」があって、須賀さんはそこへ行かれる人だった。一方で、それはそのことにとらわれてしまうことでもある。魅力であると同時に枷(かせ)でもあったかもしれない。言葉にしてしまった途端、物語性を帯びる。

(ゆ)
核心には物語性があった。エッセイの中では、いかに生きるべきか、とか書いていない。思想、信仰、人生訓は書いていない。

(え)
『塩1トンの読書』からの引用で、正確じゃないかもしれないけれど、「君は今、全ての人の骨の上を歩いている」というところがあって、須賀さんはこういった認識を自然に持っていた。ノートルダム寺院の描写には、今(現在)と過去の厚み、深みがある。

(ゆ)
ヨーロッパとの別れとして、パリまで車を運転していくが、ノートルダムの夕暮れの描写がある。その描写される風景の中には、歴史を説明していないけれど歴史が含まれている。描写の凄みを感じる。現在と過去の、これも“二重性”ということ。

(ゆ)
須賀さんについて江國さんの書かれた短い文章の中に、「物語とは、長く、暗く、重いものである」という一文があります。この物語とは、というところは、歴史が、長く、暗く、重いものであり、国が、長く、暗く、重いものであり、ノートルダム寺院が、長く、暗く、重いものであり、というふうに、当てはまりますね。人もまた、長く、暗く、重いものの果ての現在にいる。

(え)
須賀さんには、どうしたってそのことがわかってしまう。だからこそ、仲間、夫や親友などとのひととき、一瞬が永続しないからこそ美しいということがわかっていらっしゃったはずで、徹底してそちら側に立った。

(ゆ)
『トリエステの坂道』では、夫ペッピーノのことや家族のことについて書いている。家族はいわゆる労働者階級であったが、(労働者階級の人々を)代表させた書き方ではない。わかりやすく因果関係を書いたりしない。具体的には書かず感じさせる。これは小説の手法にとても似ている。

(え)
(至極納得というふうに、うんうんうなずく)



*** 第2部 『ある家族の会話』をめぐる話 ***


(え)
ギンズブルグの『ある家族の会話』は21歳の頃、今でもはっきり覚えている、千歳烏山の京王書房という本屋さんで買った。ギンズブルグも、翻訳の須賀敦子という人も知らずに、これおもしろそうと思って買った。本の衝動買いには自信がある(余談だけれどCDの場合ははずす。ジャケットがいいなと思ってもダメ)。そして、やはりおもしろくて本当に声をたてて笑いながら読んだ。当時本屋さんでアルバイトをしていたが、先輩におもしろいよ、といって貸したら、彼女は泣きながら読んだと言った。こんな差が!その頃、ぼんやりと小説を書きたいと思っていた。『ある家族の会話』を読んで、あらすじが大事ではない小説でもいいんだとわかった。家族の口癖とか言い間違いとか、物語にすることでとどめておける。

(ゆ)
物語にすることで、普遍性を獲得できる。

(え)
当時買った『ある家族の会話』の表紙の絵が有元利夫さん。これは日本人の描いた絵とは思わなかった。今では有元さんの絵のファンになった。3つの出会い(ギンズブルグ、須賀敦子、有元利夫)をくれた本。

(ゆ)
今のお話に補助線を引くと、須賀さんとギンズブルグとの出会いは、『コルシア書店の仲間たち』の中の「オリーヴ林のなかの家」に書かれている。それよると、将来書くとしたらこういう風に書きたいとおっしゃっている。その後20年を経てエッセイになった。

(え)
ギンズブルグの作品は他に『モンテ・フェルモの丘の家』『マンゾーニ家の人々』がある。『マンゾーニ家・・・』は手紙がベースになっている。どれもおすすめ。おもしろいし、家族と言葉で成り立っている小説。

(ゆ)
ヨーロッパのモダニズム文学、イタリアの実現ということになる。言葉を小説の中心に置く。これは江國さんにつながる。ギンズブルグから須賀さん、須賀さんから江國さんへとつながっている!

(え)
つなげないでいいです、いたたまれない(笑)。『マンゾーニ家の人々』については、小説としての骨太さを感じる。とても正確で、静かで、精緻で、なおかつユーモラス。翻訳の須賀さんの力か、それとも原著のギンズブルグの力か。題材となった文豪マンゾーニの代表作は『いいなづけ』。

(ゆ)
『ある家族の会話』を読んだ先輩は泣いて、江國さんは声を立てて笑ったという、その差については?

(え)
前述の先輩はヌマクラサツキさん(翻訳者)という方で、こんなことなら今日お呼びすればよかった。それは知識の差というか、社会的背景を読み取る力の差だったと思う。当時の私は物語の表面的な部分でしか読めなかった。一冊の本から何を感じるかというのは人によってすごく違う。あとは読んだときの年齢にもよるかもしれない。失われてしまうものについて、年をとってからは泣きたい気持ちになるようになった。涙もろく?

(ゆ)
いえいえ、まだ早いでしょう(笑)

(え)
本を読んでいるときは、物語的に効果があれば、もっといけ!殺れ!と思う。自分は冷酷な読み手の方だと思う。本の中のことと現実とをつなげる回路を持っているかどうかだけれど、私はつなげては読まない。母親のことが描かれていて、それを自分の母親と重ねて読んだりはしない。

(ゆ)
『ある家族の会話』でギンズブルグ自身はプルーストに背中を支えられている。序文から意図的さを加減していることがわかる。

(え)
須賀さんは、事実を伝えるには物語にしなければ、という確信をお持ちだったに違いない。人物が実名で出てくるけれど、それには逡巡と覚悟があった。

(ゆ)
当初、雑誌連載時は自他ともに仮名、のちに実名でいいと得心する。



*** 第3部 たちの悪い少女 ***


(え)
湯川さんは須賀さんとお付き合いがおありでしたが、須賀さんはどんな方でしたか?

(ゆ)
非常にたちの悪い少女(笑)。やんちゃで、笑う効果をよく知っている。子どもみたいに夢中になる。それを意図的にそうしていたのではなくて、体質として本来的にあった人と言える。おしゃべりが好きで、でもそれは特定の相手との場合で、私とはそうでもなかった。おしゃべり好きは落語が好きというところにも表れている。白山のふもと、白峰村に文春の編集者とか、大竹昭子さんたちと合宿に行ったとき、男女で部屋を分かれていたが、壁の上の方は隣の部屋とつながっていて、夜中にずっとしゃべっていた声が聞こえた。それも須賀さんの声ばかり。イタリアのこと、自分の文章のことをしゃべっていたように思う。あと、須賀さんは車の運転が好きだった。井の頭通りを80キロで走ろうとした。一種の暴走族!

(え)
意外!サガンみたい。

(ゆ)
私は『コルシア書店の仲間たち』の編集を担当していた。浜田山に住んでいて、車で送ってくれたけどこわかった。ゲラを読んでいる方が安全だった(笑)。車の失敗も平然と話す。世田谷は農道がそのまま車道になっているから道が複雑で、これ以上行ったらいけないな、と思って車を降りて確かめたら崖から落ちそうだったとか。車の運転が好きで、下手で、スピード狂。車を運転することで、静かで明晰な部分とのバランスをとっていたのかもしれない。

(え)
須賀さんが自動車の運転をなさるというのは意外でしたが、とても行動的なお方だということは、結婚とか留学とかにおいても、さまざまな反対を押し切っていることから窺い知れる。やんちゃで、情熱的だということも。一方のエッセイでは対象との距離の取り方が上手。だから物語になっている。

(ゆ)
文章では自己を抑えて、対象に語らせている。須賀さんは、本質は大変なインテリ。その知力や教養を簡単には表に出さなかった。良家だったので子どもの頃の写真がたくさんあって、今回も少女時代の写真がたくさん展示されている。知り合ったのは須賀さんが60代になってからだけど、少女時代としっかりつながっている。私の知っている60代の須賀さんと写真の少女は同じ顔をしている。だから1階の展示をじっと見ていると変な気持ちになる。



*** 第4部 必要な遠回り、そして湯川さんの箴言 ***


(ゆ)
いちばん印象に残った作品、あるいは好きな作品は?

(え)
どれも好きだけれど、あえて選ぶなら、『ヴェネツィアの宿』。父と母のことを書いていて、でも延々と遠回りをする。普段の(と言っても、その他の作品からうかがわれる)明晰さと、逡巡とのせめぎ合いがスリリング。せめぎ合いが『ヴェネツィアの宿』では表面的だからかもしれない。

(ゆ)
飛び石、あるいは遠回りが必要だった。私小説的。どうしても物語にしてしまう性質がここにも表れている。オリエント・エクスプレスのコーヒーカップの話なんて、物語が後からついてきているとしか思えない。

(え)
湯川さんはどの作品がお好きですか?

(ゆ)
私はあれこれ読み散らかしているので、今となってはどれというのはない。さて、話が当初の物語に帰結したところで3時半になりました。せっかくの機会なので、質問をどうぞ。

*

質問1:作品のメディアミックスについて、また紙の出版の行方について、どうお考えですか。

(え)
映画化についていうならば、小説とは別のものだから違うふうにしてほしいとお願いする。それがうまくいったのは『スイート・リトル・ライズ』で、これは小説より良かった。小説の中のセリフをそのまま語らせると変なので、変えてとお願いするが、変えないと変なものができあがる。須賀さんの作品については、須賀さんの世界をそのまま映し出すことはできない。ただし、作品を題材にして、エッセンスを使って、別のものを作ることはできる。紙の本については、私が教えてほしいくらい。紙の本と電子書籍は別のもので、それを「同じ」というなら、そのことは退化だと思う。

(ゆ)
物語の起源は神話。それは言葉によって作られたもので、人間の歴史と同じである。メディアが変わる、あるいは種類が増えても、物語そのものは消えない。メディアは自分の埒外で、そんなことは考えても仕方ない。自分は自分の書くべきものを書くだけ。幸いもう出版社を退職しているので。

(会場笑)


質問2:最近おもしろかった詩集、あるいは本をおしえてください。

(え)
難しい質問だ。最近の詩、詩集はあまり読んでいないので。小説なら、奥泉光さんの『東京自叙伝』がおもしろかった。

(ゆ)
これ以上難しい質問が出る前に終わりにします。




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神奈川県立神奈川近代文学館
『須賀敦子の世界展』 2014年10月4日(土)〜11月24日(月・振休)
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