蜜白玉のひとりごと
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2016年05月07日(土) |
どこでどうなったのかオレンジ |
くしゃみが出てしょうがない。外を歩いていても、窓を開けて部屋に風を通していても、くしゃみと鼻水が止まらない。この感じは絶対にアレルギー。こんなに気持ちいい季節なのに。もうマスクをするには暑苦しいし。いったい何の花粉だろう?スギは当然、ヒノキもとうに終息したのに。
大騒ぎの桜のあとも、次から次へと花が咲いて街は忙しい。街路樹のケヤキは我先にと葉を広げ、信号待ちの日影が増す。歩道にあふれんばかりのツツジは満開を過ぎて茶色くなってきた。ハゴロモジャスミンはどこかで濃いせっけんの香り。
今年もベランダのミニバラが咲いた。10年ほど前、スーパーで値下げ札がついていた苗を赤いのひとつ、ピンクのふたつ買って、1個しかなかった植木鉢にまとめて植えた。どこでどうなったのか、数年後にミニバラはオレンジ色になった。それからずっとオレンジ色だ。花が終わってしばらくしてから切り戻しておけば、律儀に春と秋の2回咲く。
家の片付けをして不要なものを捨てている。何を不要とするかという基準が、以前より厳しくなったような気がする。夫にも、何かふっきれたんじゃない?と言われるほど、思い出の品とかも躊躇なく手放している。
・小さい頃に大叔母からもらったオルゴール(ふたの蝶番が壊れている)とその中身(小物入れになっていて幼稚園のバッヂとか抜けた乳歯とかを入れていた)
・歯磨き用のキティちゃんの砂時計(カビとホコリまみれ)
・幼稚園の先生がお別れプレゼントに作ってくれた粘土細工(粘土が乾燥し過ぎてボロボロ)
・小学生の時に使っていたバレエの練習用の白いチュチュ(さすがにサイズが合わない)
これらのものは幾度となく繰り返された引っ越しにも捨てられずについてきたのだ。もう使わないけど取っておく。大事な思い出だから。でも、大事なはずなのに、何かの拍子にそれが目に入るたびに、悲しい気持ちしか起こらなかった。使ったり眺めたりする本来の役目のあと、大事に取っておかれる役目さえもすでに終えたのかもしれない。そう気づいたら、自分で捨てるべきだと思った。他の誰でもない自分で判断して自分の責任で捨てる。父の遺品を整理したり、実家を売りに出すときの大量の荷物の整理で思い知ったことだった。
今のところすぐ死ぬと思って生きているわけではないけれど、不慮の事故とか、もっと言えば天変地異とか、そういう予測のつかないことはあるかもしれない。それは誰にとっても同じこと。今をまず生きる。そして自分を自分たらしめる一握りの思い出と淡い未来への期待があれば。
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