透明思想。 |
2009年05月11日(月) ラブレターじゃないよ |
亡くなった友達の事を書きとめようとすると、開いたページがあっという間に文字で埋め尽くされてしまう。 今朝、大学へ向う電車の中。 驚くほどに、言葉はあとからあとから溢れて、ペンが止まらない。でもそれに応じて懲りない私の目頭も熱くなってくるため、とても移動の時間を潰すために選ぶような行為じゃなかったことに気付いてノートを閉じた。 ● 日々朝起きて、また新たな彼の知らない一日が増えたことに少しの抵抗を感じて、それでいながら、どこにいたって、何をしていたって、私の五感は、「新たに」彼に伝えたい事を見つけてしまう。そんなものを蓄えたってやり場が見つけられそうも無いのに。彼と交歓できる訳が無いのに。 彼と、沢山の時間を掛けて、沢山の距離を、のんびりじっくり、気ままに歩いてきた。 そのきっかけは多分、一つの場所に留まって沈黙が流れたりして気まずい思いをしたくない、とかそんな下らないけど無視できない理由で、それでも、それによって沢山の景色や空気、出来事に巡りあえていた。少なくとも私には、それら一つ一つ、どれにも大事の実感が通っていた。 なんてことのないきっかけで、彼と沢山のものを通り過ぎようとした。 こうして彼がいなくなっていまった今、なお、いくらでも語り掛けたい事柄の発見が、気持ちが、止まってくれそうもないのは、私の日常がやっぱり絶えず流れて続けていることの証で、そしてその核に限りなく近い場所に彼に寄り添ってもらってるからなんだと、今日思った。 |
Will / Menu / Past |