ステップママ繁盛記



 夏休みの予定・・・

ずっと決まってなかった夏休みの(子供たち)予定が決まった。
結局ドイツにいる前奥の夫婦は話しにならず、結局夫の実家(シカゴ)と弟(ケンタッキー)にしばらくいることになった。

正直ほっとした。
半日授業が続く今週も毎日、パーティだの映画だの、食事だのといって
タクシードライバだ。夫が仕事でいないときは必ず私の仕事になる。
あああ、これが夏休みずっと毎日続くかと思うと本当に嫌気が差してくると思っていた。

どこに行くにも車の手段しかない現在住んでいるところは私にとってつらい。
子供にとっても、自分が行きたいときに行けず、親に頼るしかないというのもつらいだろう。
日本の文化を持ち出すつもりはないが、車社会のアメリカでこうやって
タクシードライバをやって人生が終わるなんてまっぴらごめんだと思う。



2002年05月24日(金)



 結局自分の親(家族&親戚)と子供!?

ちくちく言うようじゃないけれど、先日の母の日に出張先から「ハッピーマザーズデイ!」と電話。その後に、彼のお母さんに電話を入れたらしい(当然といえば当然だが)。私の母親のことは一切触れず。夫のお母さんにカードは郵送しておいたのでそれも届いたよとの連絡は教えてくれた。
その後に、メールで、自分の実家に電話したこと姪が風邪を引いたらしいとのことを伝えたが、一切そのことに対してはレスはなしだった。

夫のお母さんは21日が誕生日。こちらも誕生日カードをすでに郵送済み。
いきなり、「そういえば送ってくれた?」と聞かれたので、送ったよと伝えた。

夫のお父さんが手術を受けたみたいで、そのことが気になり、電話したほうがいいんでは!?と伝えたら、「あ、いいよいいよ、お姉さんに電話したら大丈夫だって。」気になったので、私からお父さんに電話をした後、受話器を渡ししばらく話した後、「あ〜君のおかげでショーをミスしたよ。」とテレビドラマの最中で電話を渡されたことをひどくなじってくれた。「だって、自分のお父さんでしょう?たかが10分電話したぐらいで、早くお父さんが寝ちゃうよりちょっとでも元気な声を聞きたくないの?」といったら「かけないとは言っていない」といわれる。
あ、そ、よけいなお世話だったのね。

昨日(金曜日)二番目の男の子のミドルスクールの卒業式があった。
すっかり忘れていた彼は、最後の土壇場になってから、「みんなで行く!」
今週はかなり2番目のこに頭が切れていたので、「あたしは行くのどうしよかな?」と大人げない答えをしたら、「いかなくてはならない」といわれ、しぶしぶ。その途中、自分の子供だからを強調。これにかなりかちんときた。

卒業式も終わり、今日は外で夕食を食べることになった。
途中かなり自分の子供自分の子供発言にうんざりして、レストランに行く途中、
一人で家に帰ってきた。というよりも、送ってもらって一人家にいることにした。

結局、自分の子供がかわいいんだよなあ〜。
夫と子供3人・・・どうやら、前奥の大好きだったレストランに行ったようだ。





2002年05月18日(土)



 いらつかせる素・・・

2番目の子(男の子)は、かなり勉強ができる(すべての教科)。今は13歳なのだが、数学だけは高校のをとっているため、いつも通うミドルスクールと異なる高校に数学をとりにいかなくてはならない。そのため、親が毎朝送りをするのだ。朝の一番ではじまるこのクラスは開始時間が7時半。当然夫のいないときは、私がする。

学校の成績は小学校のときから、オールA。
ずっとオールAなのである。夫はあんまり私には誇張はしないものの、俺の子供だからというのがひしひしと会話の中の単語からわかる。
学校でオールAをとろうが、私にとってはかなりの悩みの種の人物である。
家でのモラル、道徳がまったくわかってない。自分中心に何事も回っているという
子供独自のものでもあるのだろうが、かなりその角が3人の子供の中でも目立つ存在なのである。社会にでてしまえば、学校の成績より、毎日の生活態度、モラルや人を思いやる気持ち、哲学がものをいうと思う。・・・自分が自分の過去を名前やステータスで言わない限り・・・

自分の用事があるときはその前にかなり入念に親にご機嫌をとり、自分の用事が終わればさっさとごみ箱行きの扱いなんて日常茶飯事である。夫には、いわゆる「ヨイ子」を演じ、私の前では召使同然の扱いをいいたてる。いつもYESマン。もっといえば、夫に言えない不満を私にはいい、どうしてこう行動やアクションが違うのかといえば、くってかかる始末である。同年代だったら、絶対に嫌っているタイプ。
女より、女々しい態度にはあきれはてる。
買い出しから帰れば、手伝って車のトランクから手伝ってくれるのは、いつも一番下の子(女の子)と一番上の子で(女この)はたまた、近所の男の子が手伝おうか?っといってきて最後に、2番目の男の子が腰をあげ、ひとつか二つのプラスティックバッグを手伝っておしまい、そういうやつである。顔もかわいい、頭もいい、が、どうか、こんな男外見男には誰もがつかまってほしくない。
こういう男といっしょにいると、女性は一生後悔する。
外見やうわべでだまされてはいけない。Truthはそんなにぴかぴかしてないものだ。

2002年05月17日(金)



 ストラップレスブラ・・・

アメリカの学校は夏休みが早いところで5月の終わりからはじまり、学校がはじまるのは、早いところで8月の半ば、遅いところは9月ごろからが定番で新学期がはじまる。子供にはうれしい夏休み、大人にとってはこれまた頭の痛い大変な時期がやってくる。

長い夏休みが始まる前に、謝恩会もどき、パーティ、卒業式等ももれなくこの時期到来なのだ。

一番上の子がやっていた陸上でも、パーティがある。ドレスは去年パーティに行くのに買ったもの、黒いロングのストラップドレスだ。去年着たときはどうやってきたのかは定かでないが、パーティの話しを夫に話したついでに、ストラップブラが欲しいと言ったらしい。お父さんもこれには困ったらしく、おいおい、と私にいっしょに見にいってくれと頼んできた。「なんで〜?お店に入って、別にいっしょに下着見なくてもいいから、待ってて、お金払えばいいんじゃない?」冷たい妻だ。

一番上の子から話しを聞くと、昨日はピックアップの帰りに女性の服を売るお店の前までいって、お父さんは車の中で待っていたらしい。「買って来い!」
お金をもっていない一番上の子は、当然だが、大蔵省を待っていた。
しばし沈黙が車内で続いたあと、お店を後にして家に帰ってきたといっていた。笑

ブラ選びは特に問題もなく、いくつかピックアップして試着してもらい、気に入ったものを選んでもらった。かかった時間20分。
「最初に桜に言えばよかったよ〜失敗した」

ブラを買ってもらうって、親にいうのって恥ずかしかったよなあ。
一番はじめに買ったとき、母親にでさえ、言うのに勇気が数ヶ月かかったもん。
それ以後は、友達と買いにいった思い出を帰りの車で話した。




2002年05月15日(水)



 母の日・・・

ステップママになってから、三度目の母の日がきた。
いつも、母の日になると逃げてどこかにでかけたりしていた私だが、今回は夫の出張でそれはできなくなってしまった。今日(日曜日)帰ってくるはずの夫も火曜日の帰国になるらしい。

朝、なにやら誰かが私の部屋にはいってくる気配で起こされた。目覚ましをみるとまだ8時半。私はてっきりお昼ぐらいかと思った。
一番上の子と一番下の子が忍び足で部屋にやってきた。手作りのカードと、一番上の子は朝食を作って、一番下のこは花をつんできて花瓶にさして渡してくれた。
花は、ちかくのパークにむほうに咲いている場所からつんできてくれたらしい。本当は昨日とってきて、冷蔵庫にいれておいたらしいのだが、私が料理をしているとき、階下におりるのがわかるとさっと2番目の子が見張り番になって冷蔵庫からばれないように階下にあるバスルームに隠していたらしい。
朝起きると、花は枯れていて、もう一度公園にいってつんできてくれたというのだ。たくさんの花がきれいにカットされていて、半分以上が枯れてしまっていたが、花瓶はとても冷えていた。そして、野生の花の香りとセージの香りがした。笑

午前中に夫から電話があり、ハッピーマザーズデイ!といわれた。今日どうるすの?と聞かれたので、やらなければならないerrandsを告げると、今日は母の日なんだから、夕食に行くなり、映画にいくなりそういうことしなよ!といわれた。
まあ、夫がいれば、いくかもしれないが、アメリカ、イベント大好き、特に母の日は混む。気が引ける。

なので、通常に買い物したり、ちょっと好きなものを買ったりして午後を一人で過ごし、夕方みんなが大好きなピザをテイクアウトすることにした。甘いものが好きなこの家族、短大のときにバイトしていたところの、パフェを作るデザートとして作ることにした。パフェ用のグラスと、アイスやら、中にいれるものを買って帰宅して、4人で夕食をする。めったに、子供たちとは食べないがひさびさにおもしろかった。というのも、今週はあまりにもきれて、本当に嫌気がさしていたからだ。
母の日のカードにも、ごめんなさいの言葉が目立つ。

逃げていた母の日。
逃げられないとこんなこともある。


2002年05月12日(日)



 学校からの電話・・・

ここのところばたばたしてしまって日記を書く気分になれなかった。

昨日からまた夫の出張。
出張のたびに起こるハプニングを電話で夫に説明するのもだんだん疲れてきた。
イコール、それくらい何かが起きるのだ。

また出張か・・・と思いながら空港まで送りだし、昼過ぎに一番下の学校から
電話がかかってきた。

先生の指示どおりにやらない、無視をする、ここのところこういう態度が多いとのことで、先生も切れたのだろう。家に電話がかかってきた。
今回がはじめてではないので、私もさほどびっくりしないが(すでに親呼び出し、
反省書、自宅に帰らせる等)それよりもショックというか苦い感じがした。
夫はこういうことに関してはかなり怒りを覚えるらしいが、私は日常のこまごまとしたことのほうがどうしても目についてしまうからかもしれない。
小さいこと(症状)をほおっておくと、大きな問題になるのが普通だと思っているからだ。

夫には事実を告げるか迷ったが、とりあえずこんなことがあって、一番下にはこのようなアドバイスをしたとつげた。

それにしても、毎日いろいろ起こるよな。はあ。




2002年05月08日(水)



 ハンドルできない、改め ハンドルしたくない!

日曜日に帰るはずの夫が月曜日の帰宅となった。
3人とも風邪をひいていたので、さして問題はなかったが、帰ってきてから、子供たちの夏休みをどうするかということを話し合っていると、最初の前奥の妹夫妻の赴任先ドイツへというのが、どうやら彼の中では自分の実家または弟の場所へということを伝えられた。

私は正直いって、ここのところ夫抜きで子供たちといるのが苦痛になってきている。ドイツだろうが、彼の実家でも弟の場所でもいい、どこかいってくれというのが正直な気持ちなのだ。そこででたのが、「君は子供たちをハンドルできないから・・・一番の希望は子供たちは自分がいない一ヶ月を私と子供たちで過ごしてほしいがそれは無理だから」と言われた。子供たちといっしょにすごして、一番上の子にサマージョブをさせたいとまでいった。が、彼女は年齢的には免許をとれるが車という大きな責任を課せるところまでは二人ともOKはだせないでいる。イコール、あたしが、送り迎えをするということになるのだ。そして何時に終わるかわからない、あいまいな時間を告げられ車の中で待ったり、他の二人の世話までしなくてはならない一ヶ月が続くと思うと、一人にしてくれといいたい気持ちでそのときはいっぱいだった。

そこにきて、「君が子供をハンドルできないから」だけで済まされる問題ではなく、一番上の子が車に乗るという責任を課せられず、夫がいないあいだといるときとでは態度が大きく違う、だからこの二つの選択をしたといってほしい!」といった。どうしてもその自分だけの責任にされるのは、ごめんだと思った。

誤ってくれ、あたしもその謝意をあくせぷとした。





2002年04月18日(木)



 かまをかけられているのかと思う自分・・・

風邪が流行している我が家、一番下がようやく学校に行き始めたと思ったら、昨日は一番上の子。陸上の試合には薬を飲んで様子を見たら熱も下がったので参加した。決勝まで残ったので今日も学校が終わったら試合があるらしい。

今日は真中の子だ。
昨日から、「のどが痛い〜」といってた。
朝になったら「気分が悪い」といっていた。このいい方がなんとなく休めたら休みたい・・・というトーンに聞こえてしまった。
ちょっぴり具合が悪そうにも見えたが、明日(金曜日)は先生の会議で学校も休みだし様子を見ようと思い行かせることにした。すでに洋服にも着替えていたし朝食もすませ、バッグと靴まで入り口にある。

気分が悪いといったところで、本来なら学校行かせるべきかどうかすぐに迷うのが普通だろうなあ。その一方で行かせると決断を下す数秒の間、いや・・・自分は2番目の子から試されているのかもしれないという感情がわきあがった。2番目の子が三人の継子の中で夫と私の間の態度が大きく違う子。いつもお父さんの前ではうそだろ〜〜〜?と思うくらいの良い子を演じる。夫も知っている。このあいだの、「whatever」と言われてから、なんとなくかまをかけているのかと疑う気持ちを持っているもう一人の自分がいる。100%信用できないというのが本心。

学校から帰ってきても特に問題もなくテレビを見てるしおやつも食べている、明日は夜の野球の試合を除けば特に用事はない。

風邪薬を買ってきたのでそれを飲ませて様子を見るとしよう。




2002年04月11日(木)



 風邪・・・

ここのところ天気が変わりやすく、夏のようになったかと思えば梅雨のように数日雷雨が降っている。そんな中、どうやらその天気もあってか、一番下の子の咳が日増しに大きく聞こえるようになってしまいました。月曜日と火曜日は学校を休まざるえないところまできてしまったのです。ようやく薬も効いてきたみたいで、今日(水曜日)は無事に学校にいってくれました。

朝の用事を済ませて家に帰ると留守電にメッセージがはいっていました。
一番上のこの高校からで、「のどが痛く熱が少しあるようなので薬を飲ませてもいいか?」というものでした。訴訟の国アメリカではすぐに薬をくれず保護者の同意にもとづき対応されます。
一番上の子を電話口に変わってもらうと、今日は陸上の試合があるので帰りたくない。自分が抜けると学校のポイントが減ってしまうので帰りたくないが、熱はあってのどが痛いという。
「そんな状態で走れるの?」と聞くと走らなくてはいけない。という。
そんなに打ちこめるもの好きなものなんだと思い、少し誇らしくもなったのと、
そういうものが見つかってよかったと思いました。

一応保険の先生には薬をもらい、様子を見てだめなようならまた連絡するように指示しました。








2002年04月10日(水)



 週末・・・

一番上の子は陸上、2番目の子はリトルリーグをやっているので、週末になると
日もでてないころから送っていったり、夜にピックアップにいったりと週末はタクシードライバになってしまう。
だいたいは、夫がやってくれるが、このごろは、週末に出張やら一週間いないことなどざらにある。

2時間おきに車にのって、三人分の送り迎えを週末こなしながら、日常のこと、自分のことをしなければならない。まあ、夫も仕事だし、いないときは仕方がないが、その態度である。

夫がいないと、私に対する態度も変わる。甘くみてるととれる態度が目に付き週末夫がいないと、本当に暗くなる。あ〜またいっちゃうのか〜と。自分でコントロールしようと思えば思うほど、いらだちや、態度がとても目に付いてしまうのだ。
このあいだは、どうして夫とあたしでこんなに態度が違うのか?と問いただすと、
車を閉めると同時に「whatever」と言われた。ここで車に入り、野球の練習を停止することもできたのだが私はしなかった。そのことを帰ってきた夫に伝えると、
そんないいチャンスを君は逃したといわれた。いまさら、Punishmentにはできない、すべて自分の決断だといわれた。そしてそれらの気に入らない態度をacceptするなともいわれた。

もっともだが・・・

私に対するrespectを見てない夫は軽軽しくもこういった。
毎分、誰かを注意するのも疲れて、しかとした週末。それをいったら、
しかとはよくない注意しないといけないとさえ言われる始末。
あたしだって、毎分ごとに目をとがらせているのなんてまっぴらごめんだ。




2002年04月07日(日)
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