ステップママ繁盛記



 バスケ・・・

今年の頭から、二番目の子は高校に入ったらバスケがしたいと言っていた。
当然、高校に入ってすぐ、入部届を出した。入部届の後にはトライアウトといって、入部テストがあるのだ。

その説明書を見たとき、どんなテストがあるのかを読んでいたら、これは難なくいけるだろうと思った。と同時に、前の日記にも書いたが、送迎だよな〜と思ったのもつい先日のこと。

でも、高校がはじまってから、数ヶ月たつのいうのに一向に何もいってこない。
おかしいなあ〜バスケってもうはじまるんじゃなかったかな?と思って、夫に聞くと「実はね、落ちたらしいんだよ」え??まさか??

夫もじかに言われたわけではなく、一番上の子が聞いたら教えてくれたというのだ。「落ち込んだらしいよ」
当然だよな〜あれだけやりたいっていってたんだもん。

二人とも、この話はここだけのことにして、一切触れるのはやめた。

テレビゲームのように、いやならすぐにやめられる世界が広がっている中で
もうや〜めた!じゃなく、
これくらいで負けてほしくないなあ、なにくそと思って
くいしばってほしい。

挫折、若いときほどばねになってくれるから。
若いときに悔しかったことがあったから、悲しかったことがあったから、今に見てろという気があったから、ここにいるんだもん。







2002年10月14日(月)



 バーベキュー・・・

日曜日は、恒例うちのバーベキュー。
夫は自分のバーベキューがご自慢なのと(ようはバーベキュー奉行)、私へのねぎらいをかねて、
日曜日に何も無い限りは、彼がバーベキューを作ってくれる。

ここのところ、週末にいない夫が続いたので、バーベキューは久しぶり。
フットボールを見ながら焼いてくれる。
私はというと、下ごしらえとサイドでぃっしゅを作ればOKなのである。毎日日曜だといいんだけどねえ・・・笑

そんな中、二番目の子がグループプロジェクトのため友達の家にいったので夫がピックアップをしているあいだ、私が、バーベキュー奉行をしなくてはならず、一気に料理の鉄人化になった。一気に5皿つくりながら、庭とキッチンをいったりきたり、「焦がさないように・・・」との命令付き。
なんかにおうと思ったら、ブルーマフィンの粉で作ったケーキの上がこげてしまった。く。

2002年10月13日(日)



 エアショー・・・

久しぶりに家族行事。

エアショーに行ってきた。
一番下の子の友達と、二番目のこの友達をつれて、2台の車で出かける。
男の子チームはお父さんの車へ。女の子は私の車で。
途中、かなりの勢いで走っている前方の夫の車を見失う。もう!
行き先もチケットも持ってないので、まいったなと思っていると、携帯に電話が入る。(・・たくなあ)

入り口でおこずかいをもらった子供たちは、自分のいきたいアトラクションへと走っていった。
私は夫の仕事バへ、いっしょについていき、社交会話をしに行く。
しばし夫が仕事にいってしまったので、一人でぼーっ。

一時間ぐらいたっただろうか?
お金と暑さから疲れたガールズ軍団が集合場所へとやってきた。
お父さんからおこずかいをもらうと、また消えた。笑
最後のアトラクションが終わったので帰宅。

「今度はこっちの車のほうが早いよね?」

免許をとりにいっている一番上の子が隣に座っているので、調子こいてそうそう飛ばせないが、家についたら、ガールズのほうが早く着いた。笑





2002年10月12日(土)



 襲来中・・・

金曜日に、前奥の妹のだんなさんがやってきた。
サプライズということもあって子供たちは大喜び。

夫は週末も働きづめなので、ホスト役でへとへとだし、私もご飯やレンタルカーの手配やらとでへとへとで、昨日はぐったりしてしまった。

自分の身内でない人がくると、どこでもそうだが、神経を使ってしまう。
滞在は火曜日まで。やっと半分が過ぎた。

2002年09月29日(日)



 前奥つながり・・・

昨日の誕生日には、予定として、みんなで夕食を食べにいくことになっていたのだが、夫のフライトが遅くなったため、ピザを宅配することになった。
それを知ったとたん、じめっとした雰囲気が漂う。当然だよなあ。
みんなおなかすかせて出かけるのを楽しみにしてたのに。笑

みんなからもらったプレゼントを見せにやってきた一番上の子。おじいちゃん、おばあちゃん、親戚の人から電話がひっきりなしだった。ようやく帰ってきた夫が、カードを渡すと、泣いてやってきた。「お父さん、ありがとう!」ずっと待ち焦がれていた運転免許のスクールが明日からはじまる。

夜中に前奥のだんなから電話があった。さっき、前奥の妹から電話があったのに、はて?と思えば、彼は現在オハイオの実家にきているらしい。それというのも、一番上の子にサプライズするためにやってきたのだという。本当なら、誕生日の当日にやってこようとしていたらしいが、どうやら、週末にやってくるらしい。
え?そんな急に言われても・・・すでに夫は今週末月例の仕事にでかけなければならず、私もそれなりに用事がはいってしまっているのだ。

はあ。一難さるとまた一難。そしていつもその難は前奥の家族からやってくる。


2002年09月26日(木)



 誕生日・・・

今日は一番上の子の17歳の誕生日。

夫から電話があり、大き目のカードを買っておいてほしいとのこと。
というのも、ドライビングスクールの申し込み用紙をいれるためだという。
別にその紙をおりたためばいいんじゃないかな?とも思ったが、いわれるとおり、一番大きめなものを選んだ。

私はというと、洋服とかなんでも好きに買えるように、モールのギフトカードにした。夏やすみ中に誕生日だった、二番目の子にもギフトカードを買うことにした。

アメリカはカードの種類が豊富。

どこにいっても、夫用、妻用、娘用、ステップママ用、ステップ娘用・・・なんてのがごろごろある。

うーん。
とりあえず、頼まれたカードは、娘用の誕生日カードにした。

で、私のは、今回は迷いにまよったが、ステップ娘用のにした。
カードの内容は「人生には変化がつきものである。自分の人生も変わってしまった。変わった変わりに、こんな素敵な娘というギフトが与えられた」というようなもの。

他にも、「前は伝統的な家族じゃないけど〜今は・・・」みたいなのがあったけど、これとはちょっと違う気がして。最初のにした。







2002年09月25日(水)



 靴・・・

一番下の子が靴がほしいといった。靴の底がびろんと1cm四方めくれあがってしまった。ナにかでけつまづいたんだろう。

学校から帰ってきた彼女と靴屋にいく。三ヶ月前のサイズでは入らず、一回り大きなサイズがぴったりだったので、それにした。ちょうど今日から夫が出張なので、途中の乗り継ぎから電話のあった夫に、買ったよ〜といったら、どんなのを買ったのか聞かれた。意地悪にも「いつも子供たちに好きなのを選ぶようにいったから、好きなのを選ばせてあげたけど。」といった。前に、私が勝手に選んだ簡単でマジックテープですぐにはきかえられる靴は壊れてもいないのに捨てられたのを思い出したから。サイズも自分がいったのを信用せず、俺が一番子供のことを知っているといって豪語したのを思い出したから。

彼女の選んだ靴は、夫の理想としている紐靴ではなく、ジッパーで閉めるタイプの運動靴。どうせ、数ヶ月もすれば壊れたり、小さくなるのだから、履き心地がいいのなら、なんでもいいと思っている。なんでも彼女が気に入っているんだからいいと思う。

家に帰ると、上の二人がかってもらえないので、私にはいわないが、態度にはありありとしていた。

数回きただけで気に入らないからとすぐに捨てる癖、毎回学期がはじまると同時に新しいもの、他の家庭では通用するかもしれないことが通用しないときがあるのが我が家なのである。
必要なときに、必要なだけ。それでなくても、クリスマス、誕生日、夫の実家に帰るごとに新調される服や靴がわんさとあるんだから。
ものの大事さって、初年度のサプライリストを見ればうんざりするほどいらないもののオンパレード。学校と文房具やの陰謀かと思うほどだ。そんな学校では、ものの大事さなど教えてはくれないのだ。じゃ、誰が教えるっていったら・・・親なんだよね。




2002年09月18日(水)



 三周忌・・・

いきなり、今年の私の誕生日はラスベガスで週末みんなで(家族)すごそうといわれた。

普通、単純にこういわれたら、飛び上がるほどうれしいと思う。

しかし、私の誕生日の前の日は、前奥が亡くなった日なのである。
ラスベガスというのも、前奥が働き、子供たちと住んでいた場所である。

彼の言い方は、私の誕生日がテーマになっているいい方だったが、それとは別の理由があるのは、みえみえだった。
「あたしの誕生日っていうのは建前でしょう?」
と聞くと、正直に
「三周忌もあるけど。」といった。

一周忌のときに、気を使い、キャンドルや花とか飾る?といったのに、いらないの一点張りで、アニバーサリーなどやりたくないといって、彼らの思いでの曲をぐてんぐてんになるまで聴いていた。それをしんみり、横で聞く子供たち。そんな彼らをみてたら、なんともいえない気分になり、飛び出したのを思い出す。

もう三年経つんだし、やってもいいかな?って。それに、君の誕生日だからお祝いもしたいしといった。
正直いって、私は行きたいないと思ったのだ。

それまでは、ラスベガスは大好きな町のひとつだったのに、前奥の死をきっかけに私はぱたりとギャンブルもやらなくなってしまった。
家族の行事でカジノの行くこともあっても、彼といっしょにカジノに遊びにいっても私は一切やらない。ギャンブラーと言われた私が、まったく興味を示さなくなってしまったのは、前奥が亡くなった場所が、まぎれもなくカジノだったから。

「悪いけど、三周忌をやるなら、子供たちといってきていいから。私はいかない」といえば「君がいかないと楽しめない」という。
結局、わからないという、優柔不断な答えをだし、私はその会話に終止符を打った。

そのあとに、パッケージツアーで今住んでいる場所からラスベガスまでお値打ちナ値段があるよーといわれても、私は一切口が開かない。本当にいきたくない場所のひとつなのだ。
「もう、被害者になるのはやめなよ、前と同じように、カジノでプレイいっしょにしたいし、あんなに好きだったのに」といわれても、ビールをがぶがぶ飲んでいたのが今では一適も飲めないのと同じで、preferenceが変わってしまったのだ。すべて、私のまわりが変わってしまったのと同じで。



2002年09月17日(火)



 抜歯のあとに・・・

一番上のこが抜歯をして一週間が過ぎた。
今日はチェックアップの日。これまで、スープ類しか食べることのできなかった彼女は、いつも食べているファーストフード系のもののにおいがしたり、いつも食べているものが目の前でほかの二人が食べているのをみていると、とてもつまらなさそうだった。

「今日お医者さんに普通のものが食べられるか聞いてみるといいよ。」

10分弱で病室からでてきた彼女はとてもうれしそうだった。
「食べられるって〜!」
よかったと思った。

私の一ヶ月ぐらい前に、麻酔をして歯の治療から戻ると、部屋中にポップコーンの香りが充満していたのに食べられないかったのだ。

「家に帰ったら、残りのハンバーガーを食べよう!」

「今日はじゃ、あなたの好きなフレンチフライをあげるね?」といった。

帰ってくると、そんなことはおかまいなしに、残ったハンバーガは食べられずにそのままだった。そうだよね。残り物なんて食べるわけがない。

ちょっとうれしかった期待かんが私をずずーんと陥れる。
最初から、そんなおいしい話なんてまじに聞くほうがばかだったな。と。






2002年09月13日(金)



 おねしょの夢・・・

図書館にピックアップに行ったあと、借りてきた本の話題になった。
一番上の子が借りた本は夢の話し。

帰りの車の中で、「ねえ、小さいときトイレ行きたいっていう夢をみて、トイレにいって用をたすんだけど、起きたら布団が湖だったってことなかった?」と聞いた。小さいときほんとうにおねしょをしてしまって怒られた記憶があったので、そういうのあるのかな?と聞いてみると、「あるある〜〜!ダディにお尻たたかれたよ〜」と三人とも口をそろえていった。みんな経験者。しちゃったあとって気持ちいいんだよなーと思いでとしては言える。笑

あの夢は誰でもみるんだな。

2002年09月09日(月)
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