* HOMEWORK DIARY *

2004年12月09日(木) 友達の作文

今日も1限でポットラックです。
しかも朝8時からの授業。
でも今週一杯夫がオレゴンに出張のため、私が子供のドロップをしなくてはならず、遅刻することは先生に言ってありました。
だから、ちょっとのんびり登校して、パーティの後片付け中に教室に入りました。


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パーティの残りのクッキーやケーキをたくさんもらったので、Japanese Clutureのお友達が働くキャンパス内の彼女のデスクに、書き置きと一緒に差し入れしてきました(彼女は授業中らしく留守だった)。


2限はグラマー&ライティング。
来週の期末テストに向けて、猛烈なスピードで“if”と“wish”のレビューを。

放課後はJapanese Cultureの友達と図書館で期末テストのためのグループスタディをやることになっていたんですが、グラマーのクラスメイト、ベトナム人のアンに呼び止められて、少し話しました。

「Yunはこの前の課題の作文、何について書いた?」と聞かれたので、見せてあげました。
私の作文はイラク戦争のことを書いたものだったのだけど、アンは離婚したお父さんのことを書きながら、涙がとまらなかったのだそうです。




旦那さんの仕事でアメリカに来て、もうすぐ6年の彼女。
ベトナムでは自分のお店を経営していたのにそれを辞めて渡米し、今も仕事はしたいけど英語がネックでそうもいかない。
うちと同じ年齢の娘がいて……
……ちょっとここには書けないけれど、彼女の話を聞いていると、悩みも悲しみも苦労も、まるで普段目をそらしている自分自身の、今も痛み続ける深い傷を、乾いた空気に触れさせるような感覚になるのです。

私の前ではついつい涙をこぼしてしまうアンを、力いっぱい抱きしめたくなりました。


ESLの生徒たちは、いろんな年齢、いろんな国の人がいます。
アメリカに来た理由もさまざまで、かつての職業を訊ねれば、医者や弁護士、助産婦、学校の先生、コンピューターエンジニア、会社経営者……みんな本当に尊敬せずにはいられないバックグラウンドをもっています。
結婚してからの女性の立場も、その国の文化によって大きく違って、それが自由の国アメリカにやってきてジレンマに陥ったリ。
英語が話せないがために、なかなか社会復帰できず、専業主婦という狭い檻に閉じ込められている苦しさ。
アメリカの学校の授業についていけなかったり、カルチャーギャップで情緒不安定になる子供たちの子育て。


そんなESLの人たちが書いた作文を、もっと読んでみたいと強く思いました。
そしてできることなら、それらを本にまとめるかウエッブサイトにまとめるかして、いろんな人たちにも読んでほしいと、真剣に考えてます。





あ、で、Japanese Cultureのグループスタディはどうだったかというと、日本の高度経済成長とバブル経済について、エッセイ形式で答えなければならない問題で全員スタック。
また来週の月曜日に集まります(^^;




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