日々逍遙―この1冊、この1本、この1枚―
1冊の本、絵本、1本の映画、舞台、(ワインやお酒)、1枚の絵、CD。
散歩の途中に出会ったあれこれを…。

2002年02月12日(火) 「鏡」(シネマテークにて)

かつて「僕の村は戦場だった」や「惑星ソラリス」などのタルコフスキーの作品をいくつかビデオで見ました。その後、それらの監督アンドレイ・タルコフスキーが1986年54歳で没した後、彼の仕事を回顧して「サクリファイス」や「ノスタルジア」が劇場公開された時に「サクリファイス」のメイキングも含めて見たのです。
よく言われるように難解。でもその映像に喚起されるイメージに眩暈が起こりそうになるほど。したたる水、浮遊する女性、燃え上がる家、突然の風、それらは私の
内でこれまで経験したことのない絵でありながら一度観てしまった後には何かの折にふっとあらわれる原風景のごとく感じられます。それも懐かしい感じで収まりよくそこにあるのではなくそこに戻っていって確かめなくてはいけないことがその絵の中にはある、というような収まりようなのです。
今日、「鏡」を初めて観てきました。監督自身の分身であろうナレーターが語る幼少期の父との別れ、母との生活、そして父と母がそうだったように結婚生活が破綻、母親のもとで育てられようとしているの息子とオーバーラップする自身の姿。主人公アリョーシャの母親と妻を同じ女優さん(マルガリータ・テレホワ)が演じることで、母親と妻が二重写しとなり、アリョーシャの母性への希求と、関係をうまく培うことのできなかった妻とのこととが呼応するように感じるのです。はさみこまれるソビエト兵の行軍、ヒトラー、広島への原爆投下などの映像がアリョーシャの少年時代の軍事教練とオーバーラップします。そして樅林の奥の丸太作りの生家やその窓の外の草原に吹き渡る突然の風、家の前の柵に腰掛けて煙草をふかす母親、途中さしはさまれる母親の印刷工場でのエピソードなどの映像など、この映画にも焼き付いてしまって離れなくなりそうな場面がたくさんありました。


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みねこ

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