日々逍遙―この1冊、この1本、この1枚―
1冊の本、絵本、1本の映画、舞台、(ワインやお酒)、1枚の絵、CD。
散歩の途中に出会ったあれこれを…。

2002年04月01日(月) コンサートで

コンサートや自主制作映画の上映会などで、興ざめなのが主催者による挨拶。多くは実行委員会や主催団体の活動の経緯となぜその演奏者や歌手を呼んだのか、その映画を上映することになったのか、彼(あるいは彼女)の招聘したアーティストの作品に寄せる思いの深さを語ります。
でも、ちょっと待って。
そこに集まっているどのひとりも、大枚はたいてそこに座っている、ということはそれぞれが相応に出演者や作品に寄せる思いがあって、その思いは個別もの。集った人々はこれから始まるステージや映画に何らかの理由でひきつけられて同じ場所にいる、という1点でのみ共通するものがあるにすぎないはず。
とすれば、コンサートや上映会当日にいたるまで主催者側に、いかなる辛酸や歓喜、会の歴史や世の中に向けての働きかけがあろうとも、それを披瀝される側にとってはその日味わいたかった楽しみとは別のものをしょっぱないきなり食べさせられることになります。これは興ざめ。
どうしても知らせたかったら、印刷物を作って配ればいいでしょ。
そしてもうひとつ。
これは、出演者への冒涜だとも思います。
一昨日でかけたライブ・ステージでは、明らかに主催者側の申し入れで途中質問コーナーなど設け、この内実は主催者の個人的思い入れでのリクエストを聞くため。
こういうものが真ん中にはさまると、どうしたって散漫になるし、主催者の「こうしたい」に出演者を無理矢理ひきよせる行為って何なの?
こういう形で主催者の欲求を満足させる為だったら、あらかじめ内輪の集まりとして設定してよ。ま、この会、おそらく半数以上が内輪の人間だったとおもうけれど。内輪の納得、自己満足のために他人を巻き添えにするな、って。

数年前Gの自主上映会の時、会場に入って受付(終了時間を尋ねても答えられない)、会場整理(スタッフトレーナーかなんか着て舞い上がっているばかりで仕事をしてないし、不案内、不親切)にいい加減イライラしたあげく、主催者の思い入れを縷々語る挨拶のひとりよがりにうんざりして肝心の映画が台無し。
という経験を思い出してしまったコンサートでした。


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みねこ

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