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■ 夏は来ぬ
とうに。
暑くなってきた。
行こうと思えばすぐ行かれるのに、行ったことのない場所がけっこう(じゃないな、かなり、だ)あるなあと思う。 例えば野球場や陸上競技場。スタジアムと名の付くところじゃなくて、子供の頃から(もっと前から)あるようなところ。 スタンドに座って、フィールドの中の人々の動きを見たい。応援とかそういうのでもないけれど、たぶんKは喜ぶと思う。 野球だったら、ついでに音程が合った応援団の演奏も聴けたらいうことはないが、まあ、そんなにうまいことはいかないか。
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早いものでKも1歳10ヶ月の半ばを過ぎた。
1歳8ヶ月。 終わり頃より2語文を話すようになる。 1歳9ヶ月。 中ば頃より自分の名前を言う。どちらかというと発音しにくい名前だと思うのだが、「Kっちゃん」とちゃん付けで言ったり、「K」と3音節発する。 また3語文も聞かれる。「こっち ぱいぱい あった(った)」(こっちに(の?)おっぱいがあった)をたまに言い、他に「じっちゃん ふで いっぱい」(じいちゃん 筆 いっぱい。確かにりー父は筆をたくさん持っている)というのをりー母が確認した。 語彙も増えており、大人の言葉や絵本の中の言葉、ラジオなどの言葉の端を捉えて真似する。
名詞だけではなく、動詞や形容詞も増えている。抽象概念も。 色について、「あか」はかなり早い時期からわかったようだが、最近は「きいろ」「あお」についても認識して、言う(緑などはまだぶれる模様)。 数。ひとつ、ふたつ、みっつ。 ちっちゃーい、おっきーい、などの比較。 といったところは、どうもりー母の教育的配慮によるらしい(自分の両親が意外にも教育的であることに驚いているらしい。>りー氏)。
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印象に残る例などランダムに。 (ごぶさただったのでどうにも長くなる。)
散歩していて、以前なら咲く花を見て「はな!」と言ったであろうところを、今は「きれー!」(きれい)と言う。バラの花にも、大人の目には雑草と見えるようなものにも。果たして「きれー」はどのように認識されているのか。
Kと私がそれぞれにボーダー柄のズボンを履いている。 自分のズボンを指して「しましま」と言い、また私のズボンを指して「しましま」と言い、その後「おんなじー」言う。
りー氏(いつも眼鏡をかけている)を指さし「たんたん(父さん)、めがね」。 私(たまたま眼鏡をかけていた)を指さし「かあたん(母さん)、めがね」。 たんたんがめがねをかけている。かあたんもめがねをかけている。 次にその場にはいないりー母(いつも眼鏡をかけている)について、「ばっちゃん、めがね」。 ばあちゃんもめがねをかけている。 また、帽子を見て「ばっちゃん」と言う。 この「ばっちゃん」は、出かける時には帽子をかぶる私の母のことを言っているのだろう。
ある朝。前の晩に汽車のおもちゃで遊んでいたあたりを指して、「でんしゃ、あれえ?」(おもちゃは片づけられていて、その場所にはない)。 「あれ(れ)ー?」と言い、何だろう、どうしたのだろう(どこにいったのだろう)、という気持をあらわす。 また別の時、某所にて。昨日はあったオブジェが、今日来たらなかった。 その場所を指して「なになに?」 あれ、昨日はあったのにね、今日はなくなったね。 「なくた」 なくた、なくた、と繰り返し。
記憶はどのように作られていくのだろう。
食べる、また飲むまねをして「おいしー」と言う。
誰の所有物であるかということに関心を示す。りー氏の服を指し「たんたんの」、同じく私の服「かあたんの」、そしてKの服「Kの」。
崩れ落ちる氷河のニュース映像を観て「いててててててて」と言う。 雪景色を見て「ふゆ」と言い、縁側を指さして、「なつ」と言う。
アルゴリズム体操とぱわわっぷたいそうをする。>ETV(りー実家にて観ている) 大人が歌をうたったり絵本を読んだり、気に入ると人差し指を立てて「もっけ(=もういっかい)」と言う。というリクエストのしかたは、私の母が教えた。
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自己主張が激しくなり、一筋縄でいかないと感ずることもあった。喜びも楽しさも、Kはたいへんわかりやすく表現する。顔の表情も派手だ。 「快」がそのようであるということは、「不快」についても同じく激しいということだ。実際、よそのお子さんに接して、なんて静かなのだろうかと思う時もある。 しばらく前、ことに自己主張が強くなったと感ずる時期があった。それが成長というものであると頭の中ではわかっていても、その激しい表現、成長の波のようなものに私がついて行かれていなかった。ついて行けなくてイラッとする母と、ついて来られない母(と、たぶん自分自身)にイライラする子と。まあ、後者の方が心情としては深刻だろう。ああそのような時期だ、と思いつつ、一方で、なんでなんでなんでなんだと思っていた。プラス、考えさせられる出来事などもあり。明確な感情表現だけではなく、そのひまに、ふっと場の空気を見て引く一瞬も持つK。 迎合でもなく拒絶でもなくさてどうしたものか。こちらとしては「具合の悪い」ことではあるが、イヤだと主張する理由はわかる(そんな風に子供の心の中を推察するのは面白くて、好きだ。大変だけど)。まあでも大人としてはいろいろ都合もござんすよ、というわけで折り合ってほしいわけだ。いろいろ省みたり話したりしているうちに−−K本人だけじゃなくてりー氏や他の大人たちとも−−新しい地点にも慣れていく。
2008年07月11日(金)
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