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みんみん



 夏は来ぬ

とうに。

暑くなってきた。

行こうと思えばすぐ行かれるのに、行ったことのない場所がけっこう(じゃないな、かなり、だ)あるなあと思う。
例えば野球場や陸上競技場。スタジアムと名の付くところじゃなくて、子供の頃から(もっと前から)あるようなところ。
スタンドに座って、フィールドの中の人々の動きを見たい。応援とかそういうのでもないけれど、たぶんKは喜ぶと思う。
野球だったら、ついでに音程が合った応援団の演奏も聴けたらいうことはないが、まあ、そんなにうまいことはいかないか。



早いものでKも1歳10ヶ月の半ばを過ぎた。

1歳8ヶ月。
終わり頃より2語文を話すようになる。
1歳9ヶ月。
中ば頃より自分の名前を言う。どちらかというと発音しにくい名前だと思うのだが、「Kっちゃん」とちゃん付けで言ったり、「K」と3音節発する。
また3語文も聞かれる。「こっち ぱいぱい あった(った)」(こっちに(の?)おっぱいがあった)をたまに言い、他に「じっちゃん ふで いっぱい」(じいちゃん 筆 いっぱい。確かにりー父は筆をたくさん持っている)というのをりー母が確認した。
語彙も増えており、大人の言葉や絵本の中の言葉、ラジオなどの言葉の端を捉えて真似する。

名詞だけではなく、動詞や形容詞も増えている。抽象概念も。
色について、「あか」はかなり早い時期からわかったようだが、最近は「きいろ」「あお」についても認識して、言う(緑などはまだぶれる模様)。
数。ひとつ、ふたつ、みっつ。
ちっちゃーい、おっきーい、などの比較。
といったところは、どうもりー母の教育的配慮によるらしい(自分の両親が意外にも教育的であることに驚いているらしい。>りー氏)。



印象に残る例などランダムに。
(ごぶさただったのでどうにも長くなる。)

散歩していて、以前なら咲く花を見て「はな!」と言ったであろうところを、今は「きれー!」(きれい)と言う。バラの花にも、大人の目には雑草と見えるようなものにも。果たして「きれー」はどのように認識されているのか。

Kと私がそれぞれにボーダー柄のズボンを履いている。
自分のズボンを指して「しましま」と言い、また私のズボンを指して「しましま」と言い、その後「おんなじー」言う。

りー氏(いつも眼鏡をかけている)を指さし「たんたん(父さん)、めがね」。
私(たまたま眼鏡をかけていた)を指さし「かあたん(母さん)、めがね」。
たんたんがめがねをかけている。かあたんもめがねをかけている。
次にその場にはいないりー母(いつも眼鏡をかけている)について、「ばっちゃん、めがね」。
ばあちゃんもめがねをかけている。
また、帽子を見て「ばっちゃん」と言う。
この「ばっちゃん」は、出かける時には帽子をかぶる私の母のことを言っているのだろう。

ある朝。前の晩に汽車のおもちゃで遊んでいたあたりを指して、「でんしゃ、あれえ?」(おもちゃは片づけられていて、その場所にはない)。
「あれ(れ)ー?」と言い、何だろう、どうしたのだろう(どこにいったのだろう)、という気持をあらわす。
また別の時、某所にて。昨日はあったオブジェが、今日来たらなかった。
その場所を指して「なになに?」
あれ、昨日はあったのにね、今日はなくなったね。
「なくた」
なくた、なくた、と繰り返し。

記憶はどのように作られていくのだろう。

食べる、また飲むまねをして「おいしー」と言う。

誰の所有物であるかということに関心を示す。りー氏の服を指し「たんたんの」、同じく私の服「かあたんの」、そしてKの服「Kの」。

崩れ落ちる氷河のニュース映像を観て「いててててててて」と言う。
雪景色を見て「ふゆ」と言い、縁側を指さして、「なつ」と言う。

アルゴリズム体操とぱわわっぷたいそうをする。>ETV(りー実家にて観ている)
大人が歌をうたったり絵本を読んだり、気に入ると人差し指を立てて「もっけ(=もういっかい)」と言う。というリクエストのしかたは、私の母が教えた。



自己主張が激しくなり、一筋縄でいかないと感ずることもあった。喜びも楽しさも、Kはたいへんわかりやすく表現する。顔の表情も派手だ。
「快」がそのようであるということは、「不快」についても同じく激しいということだ。実際、よそのお子さんに接して、なんて静かなのだろうかと思う時もある。
しばらく前、ことに自己主張が強くなったと感ずる時期があった。それが成長というものであると頭の中ではわかっていても、その激しい表現、成長の波のようなものに私がついて行かれていなかった。ついて行けなくてイラッとする母と、ついて来られない母(と、たぶん自分自身)にイライラする子と。まあ、後者の方が心情としては深刻だろう。ああそのような時期だ、と思いつつ、一方で、なんでなんでなんでなんだと思っていた。プラス、考えさせられる出来事などもあり。明確な感情表現だけではなく、そのひまに、ふっと場の空気を見て引く一瞬も持つK。
迎合でもなく拒絶でもなくさてどうしたものか。こちらとしては「具合の悪い」ことではあるが、イヤだと主張する理由はわかる(そんな風に子供の心の中を推察するのは面白くて、好きだ。大変だけど)。まあでも大人としてはいろいろ都合もござんすよ、というわけで折り合ってほしいわけだ。いろいろ省みたり話したりしているうちに−−K本人だけじゃなくてりー氏や他の大人たちとも−−新しい地点にも慣れていく。

2008年07月11日(金)
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