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No-Mark Stall *




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律その2。 | 2008年06月10日(火)
灰色の髪の男は、眠たげな瞳で遠くを見つめ、隣に座る娘にとつとつと語りかける。

「お前の世界では、世界というものがどういう認識をされているのかは知らないが……この世界では、世界は『律』という小さな法則の集合体だという認識がある」
「律?」
首を傾げた彼女に、彼はこくりと頷きを返す。
「お前の知識と同じかどうかは分からないが、単純なところでは水を火にかければ沸騰するとか、常温で生肉を放っておくと腐るとか、皆が当たり前に理解していることから律を研究しているものでなければ分からないような小難しいもの、まだ発見されていないものまで、『これをこうしたら、こうなる』と確定している規則のことだ」
「私の世界でもその律は通用するわよ」
とろりと瞼を下げていた男は、背にしている大木に背中を預け、ずるずると姿勢を崩す。
「そうか。……それで、この世界では律を操作する技術が発展している。律を捻じ曲げ、或いは繋げることで自分の望みの結果を引き出す技術だ」
「それが印術ってやつ?」
ちょいちょいと手招きをされ、彼女は最早木の根を枕代わりに寝転がっている彼の胸に頭を預けた。そうして丁度、彼と直角になるように芝生に横たわる。
「そう。律はこのように言葉で説明することはできるが、世界に溢れる律に影響を与えることはできない。それぞれ意味をもった図形を複雑に組み合わせ、特殊な道具を用いて記すことで初めて律を操作することが出来る。無限に近い図形の組み合わせのことを印と呼び、それを扱う術ということで印術と呼んでいる」
さらさらと零れる美しい木漏れ日に目を細め、彼は穏やかに説明を続ける。
「了解したわ。それって図形覚えれば私でも使える?」
「……覚えることができれば……おそらくは、使えるだろう。ただこの技術は秘匿されていて、誰もが知っているものではない。無駄なく美しく図形を組み合わせる才能も必要とされるから、誰もが使えるようになることはないだろう」
「ふうん。そういう術があるって知ってるのは誰なの?」
「印術を管理しているのは神殿と呼ばれる神を奉じる組織だ。ひとびとはよく神殿に参拝にも行くし、印術で作られたお守りを買うことも多いから、そういう、よく分からないが不思議な力がある、ということは理解しているだろう。それを印術と呼び、なおかつ仕組みを理解して行使しているのは神殿と一部の貴族、あるいは他の高度な知能を持つ生きものといったところだろうな」
「ああ、そっか。そういう便利な知識って一部のお金持ちとか偉いひとのモノなのよね、大抵」
くすくすと声を零す彼女に彼も微笑み、ゆっくりと瞬きを繰り返す双眸をついに閉じた。
「一概に便利と呼んでいいのかは疑問だがな。ともあれこの世界は律の塊で、その中で生きる生きものは律を弄って生活している」
「私の世界も、印術とは別の技術だけど、世界を弄繰り回して自分たちの生活を楽にしてるよ。どこも同じね」
「どこも同じだな。……人間たちで気付いている者はほんの僅かだが、当然、乱された律は元の正しいカタチに戻ろうとして歪みが生まれる。その歪みが凝って誕生したのが俺のような生きものだ。分かったか?」
彼女は上半身を起こし、彼の隣に並ぶように体の位置を変える。
「だとすると、あなたの仕事は人間に好き勝手ぐちゃぐちゃにされた律を直すってこと?」
頭を引き寄せられ、ひどく声が近くなった。
「……仕事、というか、俺の存在そのものが調律の役割を果たす、というか……表現しにくいな。俺が律を正すことに間違いはないが」
「実はあなた、いいひと?」
問いかけに耳元で吐息混じりに微笑まれ、彼女は思わず頬を赤らめて首を竦める。目を閉じていた彼はそれに気付かず、穏やかな声で続けた。
「ひとではないし、人間にとってはむしろ邪魔な存在であろうがな。だが俺のような存在がいなければ律の歪みはますます歪み、いずれ世界は壊れるだろう」

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世界設定説明編。どこかのだれかさんたちと同じ世界のお話。しかし存外らぶらぶだな君たち。
written by MitukiHome
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