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よびごえ。 | 2008年06月12日(木) |
闇の中に声が降りた。 淡々としたその呼び声は聞き留めるにはあまりに凡庸で、暗がりに潜むほとんどのものは風の音と同様のものとして聞き流していた。 けれど、闇の最も深いところでうずくまっていた彼は顔を上げた。 じっと耳を澄まし、瞳を果ての見えない天に向け、ただ声を聞く。 途切れることはないけれど、彼らの魂を魅了するには輝きが足りないその声に、しかし彼は耳を傾け続ける。それは確かに誰かを呼んでいた。 いやがおうにも意識を惹きつけて離さない眩さも、思わず目を眇め手を伸ばしたくなるような温かさも、その声の主にはない。 あるのはただ静けさだけだ。諦念に包まれた、穏やかに死に逝く声が、来るはずもないものを呼んでいる。 その声に応えるのにふさわしい者は誰か。 彼はすっとその身を起こすと、深淵にまでは届かぬ小さな光に向かって身を躍らせた。 * 彼女は呆然として目前の光景を見つめていた。 そこにあるのはひとのかたちに凝った闇だ。彼女が呼ぼうとしたものは、これほど強大なものではなかったはずだった。ささやかな、何の力もなくていい、ただことばを交わせる程度の相手を呼ぼうとしてはずだった。 訝しげな瞳に、ひとのかたちを取った闇の塊は呆れたと言わんばかりに肩を竦める。 「お前の声は遠くまで響くが穏やかな風だ。聞き流されてそれで終わる」 「それなら、どうして」 座り込んでじっと彼を見上げる娘に、闇は穏やかに微笑んだ。 伸ばした手でそっとその髪を梳き、揺れる双眸を見据えて彼はひとつの約束を囁く。 ****** だめだねむい。 |