「つぐみ様に近づかないで」
クロームはそう彼に言い放った。 つぐみの眠る部屋の扉を背に、まるでそこを守る番人のように。 彼女の小さな身体は成長したヒバリからすれば、全く障害ではなかったが、 彼はそれにある種の威圧を感じた。 同じものを彼女の事情を知る別の誰か、例えばリボーンやマーモンならば 「サイコキネシス」とでも表現したかもしれない。 微弱ながらも、クロームはその表現に対応する能力を有していた。 が、何も知らないヒバリにとっては、不可思議な圧力に違いなく、 彼はそれを察知すると戦闘を始められるように、体勢を整えたのだった。 左足をわずかに引き、使い捨てのリングを素早くはめる。 この女にボックスを使う必要はあるだろうか。 彼がそう考えたのは、目の前の女があまりに薄弱に見えたからであった。 しかし、彼女が他ならぬ六道骸に指導を受けていたということ、 そして彼のよく知る儚くありなお強い女性を思い出して、その疑問を打ち消した。 背広の内に仕込んだボックスの一つに手をかける。
あまりに予想通りな彼の敵意に、クロームは呆れながらも同じく体勢を整える。 向こうの部屋ではつぐみ様が休んでいるというのに、暴れる気なのか。 そう思うと思慮に欠ける雲雀という男への苛立ちが募る。 元々、彼女はこの男を好かなかった。 雲雀は彼女の敬愛する骸をひどく憎んでいたし、 また彼女自身に対しても決して好意を抱くことはないようだった。 それは悪意ではなかったけれども、 物理的攻撃力をほとんど持たないクロームに対する無関心に近いものであるようで、 彼女のコンプレックスの真ん中を衝くようなその態度に対して初めて、 クロームは雲雀を好ましくない人間として認識した。 しかしそれでも、つぐみ直属の部下候補であった彼女は その消極的な性格も手伝ってか、当時つぐみの恋人であった彼とトラブルを起すことはなかった。 そしてその身代わりのように骸が雲雀と衝突するのを傍観するだけであった。
だが今は違う。 つぐみは18の冬に彼と別れ、正式にボンゴレの幹部に就任した。 20になった時、前年に正式襲名した10代目からの勧めで、バジルという男と結婚した。 黒曜の面々を連れてイタリアへ渡ったあの日から7年が経つ今までのその間、 雲雀との接触が全くなかったことを、側近である彼女は自信を持って明言出来た。 その間の時間に、もはや雲雀恭弥は必要なかった。 むしろ不必要であるとも言えた。
つぐみは今でもまだ、自らがした選択を後悔することがあった。 あの時、もし彼を連れていたら。 彼女はあらゆる思考の果てに、どうしてもその考えに辿りつく。 現状に不満があるわけでもない。 夫となった青年を愛してもいた。 それでも、幼い自分の思惑を飛び越えて結局マフィアになったヒバリのことを考えると、 最初から離れるべきではなかったのかもしれないと、そう思ってしまうのだった。 そこに、彼女のヒバリへの懐古や愛慕の情があることを、 クロームは何度も視て知っていた。 念波の傍受を感知出来ないであろうつぐみの思考を、 誰よりも深く、広くさらい、その胸に刻み込んだ。 だから、雲雀恭弥はもう彼女に不必要な人間なのだった。 彼の存在はつぐみの今を危うくする。 あまりにも円満に形成されたつぐみと、彼女を愛する骸と、それを守るべき自分達の今を、 この男が過去に引き戻してしまう。 つぐみと雲雀の過去。つぐみを縛る男女の契り。天使の羽根をもぐこの男。 また同じようにつぐみが病んでいくことを、彼女は望まなかった。
雲系の能力者は概して催眠にかかりにくい。 だから、彼女は全力をもってヒバリを攻撃するつもりであった。 つぐみや、アペレジーナと呼ばれた彼女の母親を指導したマーモンから あらゆる能力訓練を受けた彼女には、多少なりとも自信があった。 そういえば、この男と直接戦ったことはない。 積もった苛立ちを晴らすこと、また自らの能力を試すこと。 つぐみへの思慕や忠誠とはまた別に、 それらが無意識の内にクロームの戦闘本能を駆り立てていた。
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