春は出逢いの季節だと誰かが言った。 千代にとってもそれは違いないことであったが、既に今の職に就いて3年目となった。 十になるかならないかの子どもたちとの新たな出逢いも、また1年ごとに起こる当然の事象として彼女の中に組み込まれていた。 だから、春は出逢いの季節であって、そうではない。 これが彼女の認識である。
そして、季節は春。 学園の桜も思い思いに咲き乱れていた。
「あ、千代ちゃあん、お客さまだよお」
遅めの食事を摂って戻ってきた千代に、小松田が手を振った。 彼の横には少年が一人、佇んでいた。 少年、と間違いなく分かるほどにまだ幼い顔をした彼は、腰には刀を下げ、整った髷を結っていた。
武家の人間がこの学園を訪れるのはそれほど珍しいことではない。 教師や上級生を始めとした仕事の依頼や、また将来城付きの忍にとのリクルーターもある時期には増える。 しかし、千代には悪い予感があった。 自分を名指しで訪れたこの客がきっと「そう」であることを、彼女はなんとなく、感じ取っていた。
「小松田くん、どちらさま?」
なるべく冷静を装って声を吐く。 それはとても慣れた作業であった。
「ヤマザクラ城から参りました、」
小松田より先に、少年が答えた。 あとにに続けられた名に、彼女は自分の勘が当たっていたことを確信する。 肺の中の空気を吐き出したい衝動を抑え、千代はにこりと笑った。
「そうですか、お話はこちらでお聞きしましょう。小松田くん、悪いけどよろしくね」
うん、と呆けたような顔をする小松田を横目で流しながら、千代は少年と共にまた来た道を戻っていった。
薄桃色の花びらが1枚、2人を追いかけるように風に乗ってすべる。 追いつくことなく足元に落ちたそれを、小松田は何気なく手に取った。
「小松田さん」
はあい、と呼ばれた声に反応した彼が後に気付いた時には、 既に拾った花びらは彼の手を離れ、姿をくらませていた。
届けばよかったのに、と小松田は思った。 あの花びらが2人の背中に届いていたら、たとえば。 たとえば、なんだろう。 ぴた、と止まった思考はそれ以上進むことはなかった。 吉野先生の怒号と共に、彼は思考の代わりに書類をまとめる手を動かし始めた。
彼は知らない。 千代が若侍と去った後に自分を呼んだ善法寺伊作が、彼女を慕っていることを。 そして、彼はしらない。 その伊作が、千代と少年の後姿をじっとりと見詰めていたことを。
「千代さん」
午後の授業に戻った伊作は、ぽつりと心の中で千代を呼んだ。 誰と、何をしているかも分からぬ千代を。 ああ、これが嫉妬なのだ、と気付き、満開の桜に囲まれた美しい世界の中で、彼は唇を強く噛んだ。
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