海の見える店
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数段の階段を上がって、その人の後について店に入りました。 そこは、私の普段の生活とは無縁な空間でした。
店の正面は、天井から床まで全面がガラスになっていて、 少し傾き始めた陽が少し射すだけのほの暗い店内から見ると、窓の外がとても明るく感じられました。 その窓の外には、海が一面に広がっています。 少し高台から見おろす感じで見るその海は、普段、波打ち際から見る海とは全く別の海のようでした。 深い青と緑の海面が穏やかな波で揺れるたびに、キラキラと光が反射していました。 そして、店内の装飾品は全てが始めて目にするような物ばかりで、アンティークっぽい家具や置物で統一されていました。 私は古いタイプライターと、天井から緩やかな風を送るシーリングファン。 そして一面に広がる海に、ひたすら目を奪われ、現実ではないような感覚に陥りそうになっていました。
席に着いてしばらくの間、私は半ば夢心地気分で居ました。 店の人が水とメニューを持って来ても、私は海に視線を奪われたままでした。
「何、注文する?」
そう、その人に聞かれても、その人の顔もメニューすら見ずに
「オレンジジュース・・・・・」
と答えてしまうほどでした。
「ケーキとかは食べなくていいの?」
ちょっと笑いながらその人に言われて、やっと自分が人と一緒に居るんだ我に返りました。
「あ、いいです。」
慌てて答えながら、私はやっとその人の顔の方を向きました。 「じゃ。」と言ってメニューを閉じ、手をあげて店の人を呼ぶ仕草。 注文をする時のその声とその表情を、目が合わない少しの間だけ私は見ていました。
ちゃんと改めて見るその人の顔は、彫が深くて鼻が高く、日本人離れしていると思いました。 こんなにカッコいい人だったんだ? 全く気負わないその雰囲気もあってか、こういう店にすごく合う人だと感じました。
そう思うと同時に、私は店内に居る二組の他のお客さんが気になりました。 皆、すごい大人の女性と男性で。 心なしか、制服姿の自分を珍しいかのように見ているような気がしました。 私の高校は、地元ではバカな女子高というレッテルを貼られていて、その制服も当時の言葉でダサイと言われる特徴的なものでした。 やがて、飲み物を運んできた店の女性にも、やっぱり自分はこの店に相応しくない人間だと思われているような気がしました。 私は一気に、さっきまでの夢心地から覚め、現実の自分の姿に居心地の悪さを感じ始めていました。
そんな私に気付いていないのか、目の前に座るその人は少し間を開けながら私に話し掛けて来ました。 返事はちゃんとしたはずなのに、周りを気にしていた私は途中までの会話を全く覚えていません。 ただ、多分どこかでこんなんじゃいけないと思ったのか
「海がすごい綺麗なんで、見とれちゃって」
と言い訳をした事だけは覚えています。 それを聞いたその人は、「良かったね」というような笑顔をしたように思います。 そこで少し私は安心したのか、その内、気付いた時には周りの視線も気にならなくなり、開き直ったように自然に会話していました。 後から思えば、その人は、私が居心地悪そうにしているのを分かってて。 それで自然に振舞ってくれていたおかげなのかもしれない。 そんな気がしました。
あまり長い時間、店には居なかったように思います。 外は、夕日がとても綺麗な時刻になっていました。 帰りは助手席が海側だったので、私は遠慮する事無くずっと窓の外を見ていました。 普段の私は、人と一緒に居る時の沈黙がとても苦手でした。 いつも、それで余計な事を喋りすぎてしまい、後から後悔する事も沢山ありました。 なのに、今。 窓の外を眺めながら、何も喋らずにいられる事が不思議でした。 名前も聞いたはずなのに、私は覚えなくて。 さっきの店で、本人の話から名前が出た事で「あ、そういう名前だっけ?」と思っていたぐらいでした。 そう言えば、相手の男性も私の名前を一度も呼んでいないという事に気付きました。 そんな殆ど何も知らないような人同士が、二人だけで車に並んで座っている。 なのに、少しだけの違和感を除けば、私はすごくリラックスしていました。
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