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2002年03月15日(金) ■ |
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3月 |
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窓をあけてると虫がはいってきた。 あーうんうん、なるほどそんな季節か。 この季節は春がね、だるまっさんがこっろんだ♪してるんだ。
ところで虫歯もでてきたよ。 ウズウズして、シンシンして…。 そんなときに小島麻由美の「わいわいわい」を聴いてると 「わいわいわいわいわいわいやろー わいわいわいわいわいわいー わいわいわいわいわいわいやろー 朝までおどろー」 まるで歯の上で尻尾のとがった虫歯バイキンマンが わいわい歌いながら工事してるよーな。想像させられてます。 そんな3月。
そしてわたくしにとっては何かを毎年何かを始めるのが3月。
小学生の頃にスケートボード乗ったのが3月。 中学生の頃にギター持ったのが3月。 詩(のようなもの)を書き始めたのが3月。 タバコを吸ってみた3月。 バンドで歌いはじめた3月。 その他もろもろ恒例の3月。
今年はこんな箱を置いてみることにしました。 むかしっから整理整頓苦手なもんで なんでもかんでもつめこんじゃうんだ。箱んなかに。
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2002年03月16日(土) ■ |
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蝶々 |
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子供の頃、小学生の頃。 エアガンが好きだった。 S&Wの何番っていうのか忘れたけど 2000円ぐらいのプラスチックの灰色の。 いつも持っていて、両親は眉をひそめてた。 学校の先生にもそういうので遊ぶのはやめるように、と 何度も注意されてた気がするけど そういうのがよかった。
少しだけ強くなって、少しだけ悪い。そういうのが。
駐車場で友達と「撃ち合い」をしていたときに 目のなかを白い蝶々が横切ってった。 それでその蝶を追ったら、一枚の葉っぱに止まってしまった。
誘ってるように思えたんだもの。 目に入ってしまったんだもの。 当たるなんて思わなかったんだもの。
照準を定める顔はどんなだったんだろう。 白い弾は蝶々の身体の部分に命中した。 身体はつぶれて葉っぱにこびりついて 羽根は一枚ずつバラバラに散っって それを見て
ヘナヘナ座りこむ自分に気づいた。 はじめて腰を抜かしてた。
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2002年03月20日(水) ■ |
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寂しいのさ |
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卒業式だった。 朝まで飲んだ。
寂しくなったのは 帰りの電車に乗ってからだった。
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2002年03月22日(金) ■ |
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馴れていく |
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子供は大抵、野菜が大嫌いだ。 それが歳をとるにつれて平気で食べられるようになるのは 別に「オトナになった」からではなく 舌にある味を感知する器官の数が減って 歳とともにどんどん鈍くなっていくからだ。
馴れていくことは鈍くなっていくことでもある。 昔は好きだったことが徐々にそうではなくなっていく。 昔は許せなかったことが段々そうではなくなっていく。 昔、幸せだったことに飽きていってしまう。 昔、悲しくて仕方なかったことを、じっと見つめられるようになる。
その自分の中での変化を 時々、寂しいと感じることがあるし。 また、そうでなければならないのだということもよく知っている。 辛いことがそのまま辛いままでは。
「馴れていく」ことについて考えはじめたら いつの間にかとんでもない長話しになってしまって いつまで続くのやらやら。 それが当たり前じゃないかと 割り切れるようになるまではこのテーマは消化できないのかな。
でも少し落ち着いてみれば 当たり前のこと、なんてないんだけど。
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2002年03月24日(日) ■ |
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秋の空 |
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病気の子供に5百円玉と10円玉、 どちらが大きいのかを聞いた。
子供は10円玉のほうがおおきい、と答えた。
お母さんに電話できる そっちのほうがおおきいと答えた。
と、これはあるラジオで読まれていた葉書でのお話し。
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2002年03月25日(月) ■ |
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「ミュージシャン」 |
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音楽仲間で プロになったやつもいれば パパになったやつもいれば 留年が決まったやつもいる。
この歳になって音楽をずっと続けているひとならば 音楽以外のことはあまりしていたくない、というひとが 多いのではないだろうか。
「今から20年後に もう一度会ったなら 僕は何をしてるだろう 他にできることもなし じっとベンチで暮らしてる それより他ないだろうか 8回の裏 投げ方を忘れてマウンドを降ろされる やりきれぬ笑い話しさ 生意気な若い日のツケが回ってくるのか」 中島みゆき アルバム「中島みゆき」収録「ミュージシャン」より
スタジオでセッティング中に この歌詞のところをぼそぼそ歌ってたら 「いやなうただなあー・・・」と メンバーがクチをそろえた。
・・・。
「カウントが流れ出すと 愚かな血が流れ出す すまし返った街の角を はしゃぎながら翔けていく」
って続くんだけどね。 セッティングは終わったので、続けなかった。
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2002年03月27日(水) ■ |
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服 |
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病院の外来にいまでも通う。 私が生まれた大きな病院。 どこでもいっしょ。区役所の出張所の銀行の待合室の空気。
そこに座ってるのは みんな病気のひとで 待ち合いの気だるさと退屈のなかに 不安がいくつか転がっている。
あの場所では 2時間も座っていると日常生活ではあまり目に触れないものを 見ることができる。 顔の異常に腫れ上がったひと。 足のないひと。 車椅子に座った子供の顔をしたひと。 外見とかはどうでもいい。 着飾るとか、それどころではないんだ。
たまたま、だと思う。 たまたまこの人達はここにいて たまたま僕は、そうではない人達が集まったところで普段を過ごす。
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